<ざっくり言うと>
- 自民党、嘘と妄想と印象操作以外何一つない改憲推進マンガを発表。
- 自民党の改憲推進マンガの主人公、一度も自分では憲法を1文も読まないまま、改憲派のおじいちゃんの主張を鵜呑み。嘘で改憲を推進する自民党とそれに騙される国民の自虐的隠喩か?
- 自民党、公共の福祉を公益と同じものだと大嘘を吐き、公益のために言論を取り締まれるようにする、ロシアや中国レベルの改憲案を出してしまう。
- 自民党の改憲推進マンガ、現行憲法を批判しながらも、現行憲法のせいでどんな問題が生じているのか、どんな問題に対応できないのか、具体的な指摘は一つたりともできない。
- 自民党、現行憲法が改正されていないのを「考えてないから」だと印象操作非難。考えたうえで「変える必要なし」という意見を持っている人がいることを想像さえしない。
↑公共の福祉と公益の区別もついていない自民党。自民党改憲草案では公益に反すると判断されれば言論の自由を弾圧できる、まるで香港の国家安全維持法のような内容になっている。
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前々回の記事と前回の記事の続きで、自民党が発行した憲法改正推進マンガの内容を見ていきたいと思います。(マンガはこちらから読めます)
このマンガの第2話では、主に日本国憲法の欠陥(と自民党が考えている)箇所を指摘する形になっています。ここでの内容は明らかに自民党の憲法改正草案を意識した、というか自民党の憲法改正草案のイメージアップを図る内容になっています。
前回も指摘しましたが、このマンガの登場人物は驚くほど無知で、日本国憲法が70年前に作られたことも、草案をGHQが作ったことも何にも知らず、マンガの中でも憲法の条文を実際に引用するシーンはほとんどありません。特に主人公である「ほのぼの一家」のお母さんは「マンガしか読まない」人物であって、「シビリアンコントロール」を「シベリアンハスキー」と勘違いするほどの無知であり、実際最後まで憲法を自分で読むシーンは全く存在しません。結果、自民党のスポークスマンのような改憲派のひいおじいさんの意見をあっさりと鵜呑みにします。このマンガのお母さんとひいおじいさんの関係は「無知な国民と、それを騙そうとする自民党」の隠喩にしか見えません。自虐的ギャグでしょうか?

↑マンガしか読まない無知なお母さん

↑無知なまま憲法改正を不安がり、憲法改正を不安に思うことを
「心配性」と表現する卑怯な印象操作をする自民党マンガ

↑ひいおじいさんに日本国憲法草案をGHQが作ったことを聞かされ(29年も生きてきて今はじめて知ったらしい)怒り出すお母さん。ひいおじいさんの話を鵜呑みにしていきなり改憲に傾きました。


↑ヒステリックに改正反対を叫んだと思ったら、ひいおじいさんの話を聞くと
あっさり「変えるメリットもあるのかもねぇ」と意見を変えるお母さん。
もちろん自分で憲法の条文を確認は一切しません。
基本的なパターンとして、無知なお母さんがヒステリックに改憲反対を叫び、ひいおじいさんが日本国憲法批判をして、お母さんはそれを鵜呑みにして改憲よりの意見になる、というパターンです。「護憲派は無知でヒステリックになっているだけで、真実を知れば改憲が正しいとわかるはずだ」という印象操作でしょうね。本当に自民党って卑怯ですね。
具体的にこのマンガの第2話の内容を見ていくと、国民の権利と義務を規定した日本国憲法第3章について主に解説(批判)が展開されます。
日本国憲法第3章と言えば、「公共の福祉」という言葉が有名な第12条。このマンガでもたった3回しかない憲法の引用のうちの一つがこの12条です。

この「公共の福祉」という言葉を、自民党マンガでは別の言葉で言い換えます。

「公益」
「つまりはみんなの利益ってことじゃ」
作中で明言されてはいませんが、明らかに自民党の憲法改正草案を踏まえています。
わざわざ自民党は経験草案で「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と言い換えています。このマンガでは「公共の福祉」=「公益」と書いてありますが、もし本当に同じものなら書き換える必要もないでしょう。わざわざ書き換えたことには何らかの意図があるわけです。そしてもちろん、「公共の福祉」=「公益」ではありません! 例えば法学館憲法研究所というところのHPはこんな解説をしています。

「『社会の秩序や平穏という公共の価値のために、個人はわがままをいってはいけない』『多数の人の利益になるときには、少数の人はガマンすべきだ』という理解は正しいものとは言えない」

「個人の人権を制限する根拠は、別の個人の人権保障」
すなわち、「公共の福祉」とは衝突する人権を調整するものであって、「公益」とは異なるのです。
「日本国憲法の基礎知識」というサイトでも同様の解説がなされています。

(↑HP「日本国憲法の基礎知識」より)
百科事典「マイペディア」でも、「相互に対立関係を含む個々の利益を社会全体として調和させるために用いられる公平の原理」と書かれています。

(↑百科事典解説)
自民党はあたかも「公共の福祉」を「公の秩序」や「公益」に置き換えても問題がないかのように主張していますが、大嘘です。例えば、人権を制限できるものが「公共の福祉」である場合には、共産主義を叫ぼうがどんな思想を持っていようが、他人の人権を傷つけない限り自由ですが、「公の秩序」を理由に人権が制限できることになった場合、「秩序を乱す」という理由で特定思想を取り締まることだってできてしまいます。
実際、このマンガはこのあとこう続きます。

「日本じゃ国の安全に反してもワガママOKってこと?」
人権で保障されている自由を「ワガママ」と表現するのも凄いですが、逆に自民党草案では国の安全に反することだったら取り締まれるようになることが分かります。公共の福祉に反しないことであっても、例えば共産主義などを「国の安全に反する」と言って取り締まる言論弾圧も可能になります。
実際、「どんなに危険な結社や宗教団体でも簡単には解散させられないんだ」というセリフからも、自民党が「公益および公の秩序」のために人権の制限を強化し、「危険」と判断したら解散も可能にできるようにしたがっていることがわかります。
実際に自民党の憲法改正草案の第21条を見てみると、言論の自由や結社の自由について、「公益及び公共の秩序」に反する場合には認められないという新設の項目が設けられています。これは疑いようもなく、言論の自由の抑圧を目的とした項目です。民主主義国家としてあるまじき一節でしょう。
すごいですね。「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を行っていると判断したら、言論の自由を取り締まれるわけです。オウムみたいに明確な犯罪集団ならわかりますが、「公益」に反するから「危険」なんて判断されたらたまったもんではないです。「公益」や「公の秩序」の解釈次第では、国家の政策に反対する者を取り締まることだって可能になってしまいます。実際に明治憲法下では共産主義者や天皇機関説論者が弾圧されていますからね。マスメディアも解散させられかねませんね。
ロシアや中国では、国家権力に反対する者は「外国の代理人」扱いで弾圧されていますが、自民党は、日本を反対勢力を「国の安全に反する」として取り締まる、ロシアや中国のような国にしたいのでしょう。
個人に認められている権利の行使を「ワガママ」と表現するこのマンガは、日本国憲法の人権擁護を「個人主義的」と批判的に書いています。そして、自民党の憲法改正草案では、「個人として尊重」が「人として尊重」に書き直されているのです。やはり「公共の福祉」を「公益」と言いかねているのは、個人の権利の制限の強化をするために他ならないでしょう。
最終第4話では、「個人の自由が強調されすぎて、家族の絆とか地域の連帯が希薄になった」なんてことまで書いてありますが、それ憲法のせいじゃないですよね?

(↑憲法が個人の自由を強調しすぎたから家族の絆や地域の連帯が希薄になったってどういう論理?)
家族の絆とか地域の連帯まで憲法のせいにして、個人の自由を制限しようとしているようにしか見えないんですけど。個人の自由を制限したら家族のきずなや地域の連帯が復活するんでしょうか? なんかこの自民党の憲法改正マンガは、「それ憲法のせいじゃなくない?」という箇所がそこかしこに登場します。
自民党が「家族の絆」とやらのために個人の自由を制限しようとしていることは確実で、そのことは憲法24条に「家族は助け合わなければならない」という国民の義務が追加されていることと、さらに婚姻に関する文章変更に見てとれます。
わざわざ「のみ」を消しているのですから、両性の合意以外も条件に加えるつもりなのでしょう。自民党の個人の自由の制限という思想がわかります。
ひいおじいさんは続けて日本国憲法の欠点(と自民党が考えている箇所)を指摘します。

「犯罪被害者の人権軽視」
「プライバシー」
「環境保全」
「国の国民に対する説明責任」
これらは全て自民党の憲法改正草案に新規に書かれていることです。このひいおじいさんは自民党のスポークスマンでもやってるんでしょうか?
これらを明確に規定するとよりわかりやすくなることはわかりますが、これらって全部法律の範囲内で規定できることだと思うのですが。実際現行憲法下でプライバシーの権利に関する法律や、環境保全に関する法律は作られています。犯罪被害者の人権がないがしろにされているのは、憲法じゃなくて政権与党の責任じゃないですかね?
国の国民の対する説明責任については、特定秘密保護法や、現在行われている安保法案の議論を見ると、ないがしろにしているのは明らかに自民党なんですけれど。これは、「憲法を改正しないと、好き勝手やるぞ」という自民党の体を張ったパフォーマンスでしょうか? 自虐ギャグにも見えますが。
プライバシーの保護も、環境保全も、犯罪被害者の人権保護も、国の国民に対する説明責任も、どれも現行憲法に違反するものじゃないんだから、政権与党である自民党が今すぐ法案を提出したらどうなんでしょうか? 野党だってこれらには絶対反対しないと思いますけど。
で、このひいおじいさん説明対し、おじいさんは「世界では時代に合わせて憲法を変えている国が多いみたいだけど、どこも目立ったトラブルにはなってないようだな」と言い、お母さんは「変えるメリットもあるのかも」と意見を変えます。

しかし、現行憲法を変えないことで、日本で「目立ったトラブル」が発生してるんでしょうか? 9条なんかは異論があるにしても、先ほど言った通り、犯罪被害者の人権とか、プライバシーも、環境保全も、特に国の国民に対する説明責任については、「目立ったトラブル」が発生しているとしたら、憲法のせいではなくて政権与党のせいだと思うんですが。
現行憲法が緊急事態についての規定がないことにも触れます。

ここで言っているのは「戒厳」のことでしょうね。緊急事態については意見がいくつかあり、日本国憲法に緊急事態に関する規定がないことを「欠陥」とみなす「欠缺(けんけつ)説」と、逆に評価する「否認説」の2つがあります。「否認説」というのは、戒厳というのは国家が緊急事態に際し、国民の権利を一部制限したり、国家に超法規的な権限を与えるものなので、敢えて国家緊急権を規定しなかったという説です。こちらの立場では、いかなる緊急事態でも国家緊急権以外の手段を取るべきだとしています。
どちらも「学説」なので、どっちが正しいとは言えませんが、このマンガでは「欠缺説」のみが紹介されています。このマンガは「みんなで考えよう」と言いながら、自民党のスポークスマンのようなひいおじいさんが、自民党側の意見のみを紹介する構成になっています。
東日本大震災のことも言及していますが、憲法に緊急事態条項がなかったことで問題が発生したでしょうか? このように、この改憲推進マンガは、改憲を呼び掛けながら、現行憲法で発生している問題は何一つとして指摘することができていないのです。
自民党に都合のいい意見のみを紹介したうえで「みんなで考えなくちゃならない」と述べるだけでなく、さらには、これまで日本で憲法改正がなされなかったのは「どれを変えてどれは今のままにするのかを考えないで放ったらかしにしてた」などと言いだします。あたかも「護憲」は何も考えていない結果であるかのような言い方ですが、そう思うのはあんたらほのぼの一家が憲法や法律に対してあまりに無知だっただけで(憲法が70年前に作られたことも知らないんだからなあ…)、考えた上で憲法を擁護している人も大勢いるんですよ、ほのぼの一家さん?

(↑「みんなで考えよう」と言いながらも、自民党のスポークスマンのような話しかしないおじいさん)

(↑「放ったらかしにしてた」って、それはアンタら一家が憲法に対してあまりに無知だったからそう思うだけだろ…。)
結局のところ、政治家が国民から信頼されないのは、このマンガのように「自分に都合のいい情報しか言わない」からなんでしょうね。明らかに自民党の憲法改正草案に沿った主張のみを紹介して「みんなで考えよう」って、それは単に「自民党の言うことに賛成しよう」ってだけのことじゃないんでしょうか。
このマンガは「憲法改正の是非を考える」マンガではなく、あくまで自民党の「憲法改正推進マンガ」です。自民党が作った冊子ですので仕方がないことですし、他の政党も自分に都合のいい主張しかしないだろうことは決まっているのですが、このマンガでは第1回の記事で紹介したGHQ内部の様子のように、明らかな捏造による印象操作まで行われています。そのような事実と異なる情報や絵による誇張を用いた印象操作、いい篝でしかない現行憲法批判まで用いて自民党の考える形の憲法改正に意見を誘導しながら、「皆で考えよう」と反対意見も尊重しているかのような民主主義を装っているこのマンガはやはり卑怯と言わざるを得ません。
次回は憲法改正手続きについて書かれたマンガの第3話の内容を見てみたいと思います。(はっきり言ってこの第3話は、マンガとしてのレベルがあまりにも低くて読むに堪えないから読みたくないんですけどね…)
(第2回はこちら)
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改憲マンガのくせして憲法を読まない人物を主人公にする卑怯な印象操作
前々回の記事と前回の記事の続きで、自民党が発行した憲法改正推進マンガの内容を見ていきたいと思います。(マンガはこちらから読めます)
このマンガの第2話では、主に日本国憲法の欠陥(と自民党が考えている)箇所を指摘する形になっています。ここでの内容は明らかに自民党の憲法改正草案を意識した、というか自民党の憲法改正草案のイメージアップを図る内容になっています。
前回も指摘しましたが、このマンガの登場人物は驚くほど無知で、日本国憲法が70年前に作られたことも、草案をGHQが作ったことも何にも知らず、マンガの中でも憲法の条文を実際に引用するシーンはほとんどありません。特に主人公である「ほのぼの一家」のお母さんは「マンガしか読まない」人物であって、「シビリアンコントロール」を「シベリアンハスキー」と勘違いするほどの無知であり、実際最後まで憲法を自分で読むシーンは全く存在しません。結果、自民党のスポークスマンのような改憲派のひいおじいさんの意見をあっさりと鵜呑みにします。このマンガのお母さんとひいおじいさんの関係は「無知な国民と、それを騙そうとする自民党」の隠喩にしか見えません。自虐的ギャグでしょうか?

↑マンガしか読まない無知なお母さん

↑無知なまま憲法改正を不安がり、憲法改正を不安に思うことを
「心配性」と表現する卑怯な印象操作をする自民党マンガ

↑ひいおじいさんに日本国憲法草案をGHQが作ったことを聞かされ(29年も生きてきて今はじめて知ったらしい)怒り出すお母さん。ひいおじいさんの話を鵜呑みにしていきなり改憲に傾きました。


↑ヒステリックに改正反対を叫んだと思ったら、ひいおじいさんの話を聞くと
あっさり「変えるメリットもあるのかもねぇ」と意見を変えるお母さん。
もちろん自分で憲法の条文を確認は一切しません。
基本的なパターンとして、無知なお母さんがヒステリックに改憲反対を叫び、ひいおじいさんが日本国憲法批判をして、お母さんはそれを鵜呑みにして改憲よりの意見になる、というパターンです。「護憲派は無知でヒステリックになっているだけで、真実を知れば改憲が正しいとわかるはずだ」という印象操作でしょうね。本当に自民党って卑怯ですね。
「公の秩序」や「公益」の為に言論弾圧を行えることを可能にして、日本をロシアや中国のような国に変えようとする自民党
具体的にこのマンガの第2話の内容を見ていくと、国民の権利と義務を規定した日本国憲法第3章について主に解説(批判)が展開されます。
日本国憲法第3章と言えば、「公共の福祉」という言葉が有名な第12条。このマンガでもたった3回しかない憲法の引用のうちの一つがこの12条です。

この「公共の福祉」という言葉を、自民党マンガでは別の言葉で言い換えます。

「公益」
「つまりはみんなの利益ってことじゃ」
作中で明言されてはいませんが、明らかに自民党の憲法改正草案を踏まえています。
日本国憲法第十二条 ・この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。 又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。 |
自民党憲法改正草案第十二条 ・この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。 国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。 |
わざわざ自民党は経験草案で「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と言い換えています。このマンガでは「公共の福祉」=「公益」と書いてありますが、もし本当に同じものなら書き換える必要もないでしょう。わざわざ書き換えたことには何らかの意図があるわけです。そしてもちろん、「公共の福祉」=「公益」ではありません! 例えば法学館憲法研究所というところのHPはこんな解説をしています。

「『社会の秩序や平穏という公共の価値のために、個人はわがままをいってはいけない』『多数の人の利益になるときには、少数の人はガマンすべきだ』という理解は正しいものとは言えない」

「個人の人権を制限する根拠は、別の個人の人権保障」
すなわち、「公共の福祉」とは衝突する人権を調整するものであって、「公益」とは異なるのです。
「日本国憲法の基礎知識」というサイトでも同様の解説がなされています。

(↑HP「日本国憲法の基礎知識」より)
百科事典「マイペディア」でも、「相互に対立関係を含む個々の利益を社会全体として調和させるために用いられる公平の原理」と書かれています。

(↑百科事典解説)
自民党はあたかも「公共の福祉」を「公の秩序」や「公益」に置き換えても問題がないかのように主張していますが、大嘘です。例えば、人権を制限できるものが「公共の福祉」である場合には、共産主義を叫ぼうがどんな思想を持っていようが、他人の人権を傷つけない限り自由ですが、「公の秩序」を理由に人権が制限できることになった場合、「秩序を乱す」という理由で特定思想を取り締まることだってできてしまいます。
実際、このマンガはこのあとこう続きます。

「日本じゃ国の安全に反してもワガママOKってこと?」
人権で保障されている自由を「ワガママ」と表現するのも凄いですが、逆に自民党草案では国の安全に反することだったら取り締まれるようになることが分かります。公共の福祉に反しないことであっても、例えば共産主義などを「国の安全に反する」と言って取り締まる言論弾圧も可能になります。
実際、「どんなに危険な結社や宗教団体でも簡単には解散させられないんだ」というセリフからも、自民党が「公益および公の秩序」のために人権の制限を強化し、「危険」と判断したら解散も可能にできるようにしたがっていることがわかります。
実際に自民党の憲法改正草案の第21条を見てみると、言論の自由や結社の自由について、「公益及び公共の秩序」に反する場合には認められないという新設の項目が設けられています。これは疑いようもなく、言論の自由の抑圧を目的とした項目です。民主主義国家としてあるまじき一節でしょう。
日本国憲法第二十一条 ・集会、結社及び言論、出版その他の一切の表現の自由は、これを保証する。 |
自民党憲法改正草案第二十一条 ・集会、結社及び言論、出版その他の一切の表現の自由は、保証する。 2.前項の規定にもかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。 |
すごいですね。「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を行っていると判断したら、言論の自由を取り締まれるわけです。オウムみたいに明確な犯罪集団ならわかりますが、「公益」に反するから「危険」なんて判断されたらたまったもんではないです。「公益」や「公の秩序」の解釈次第では、国家の政策に反対する者を取り締まることだって可能になってしまいます。実際に明治憲法下では共産主義者や天皇機関説論者が弾圧されていますからね。マスメディアも解散させられかねませんね。
ロシアや中国では、国家権力に反対する者は「外国の代理人」扱いで弾圧されていますが、自民党は、日本を反対勢力を「国の安全に反する」として取り締まる、ロシアや中国のような国にしたいのでしょう。
個人の権利を嘘で弾圧しようとする自民党
個人に認められている権利の行使を「ワガママ」と表現するこのマンガは、日本国憲法の人権擁護を「個人主義的」と批判的に書いています。そして、自民党の憲法改正草案では、「個人として尊重」が「人として尊重」に書き直されているのです。やはり「公共の福祉」を「公益」と言いかねているのは、個人の権利の制限の強化をするために他ならないでしょう。
日本国憲法第十三条 ・すべて国民は、個人として尊重される。 自民党憲法改正草案第十三条 ・全て国民は、人として尊重される。 |
最終第4話では、「個人の自由が強調されすぎて、家族の絆とか地域の連帯が希薄になった」なんてことまで書いてありますが、それ憲法のせいじゃないですよね?

(↑憲法が個人の自由を強調しすぎたから家族の絆や地域の連帯が希薄になったってどういう論理?)
家族の絆とか地域の連帯まで憲法のせいにして、個人の自由を制限しようとしているようにしか見えないんですけど。個人の自由を制限したら家族のきずなや地域の連帯が復活するんでしょうか? なんかこの自民党の憲法改正マンガは、「それ憲法のせいじゃなくない?」という箇所がそこかしこに登場します。
自民党が「家族の絆」とやらのために個人の自由を制限しようとしていることは確実で、そのことは憲法24条に「家族は助け合わなければならない」という国民の義務が追加されていることと、さらに婚姻に関する文章変更に見てとれます。
日本国憲法第二十四条 ・婚姻は両性の合意のみに基いて成立 自民党憲法改正草案第十三条 ・婚姻は両性の合意に基づいて成立。 |
わざわざ「のみ」を消しているのですから、両性の合意以外も条件に加えるつもりなのでしょう。自民党の個人の自由の制限という思想がわかります。
現行憲法が対応できていない問題を何一つ指摘できない自民党
ひいおじいさんは続けて日本国憲法の欠点(と自民党が考えている箇所)を指摘します。

「犯罪被害者の人権軽視」
「プライバシー」
「環境保全」
「国の国民に対する説明責任」
これらは全て自民党の憲法改正草案に新規に書かれていることです。このひいおじいさんは自民党のスポークスマンでもやってるんでしょうか?
自民党憲法改正草案 ・何人も、個人の関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない。(第19条) ・国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う。(第21条の2) ・国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。(第25条の2) ・国は犯罪被害者およびその家族の人権及び処遇に配慮しなければならない。(第25条の4) |
これらを明確に規定するとよりわかりやすくなることはわかりますが、これらって全部法律の範囲内で規定できることだと思うのですが。実際現行憲法下でプライバシーの権利に関する法律や、環境保全に関する法律は作られています。犯罪被害者の人権がないがしろにされているのは、憲法じゃなくて政権与党の責任じゃないですかね?
国の国民の対する説明責任については、特定秘密保護法や、現在行われている安保法案の議論を見ると、ないがしろにしているのは明らかに自民党なんですけれど。これは、「憲法を改正しないと、好き勝手やるぞ」という自民党の体を張ったパフォーマンスでしょうか? 自虐ギャグにも見えますが。
プライバシーの保護も、環境保全も、犯罪被害者の人権保護も、国の国民に対する説明責任も、どれも現行憲法に違反するものじゃないんだから、政権与党である自民党が今すぐ法案を提出したらどうなんでしょうか? 野党だってこれらには絶対反対しないと思いますけど。
で、このひいおじいさん説明対し、おじいさんは「世界では時代に合わせて憲法を変えている国が多いみたいだけど、どこも目立ったトラブルにはなってないようだな」と言い、お母さんは「変えるメリットもあるのかも」と意見を変えます。

しかし、現行憲法を変えないことで、日本で「目立ったトラブル」が発生してるんでしょうか? 9条なんかは異論があるにしても、先ほど言った通り、犯罪被害者の人権とか、プライバシーも、環境保全も、特に国の国民に対する説明責任については、「目立ったトラブル」が発生しているとしたら、憲法のせいではなくて政権与党のせいだと思うんですが。
現行憲法が緊急事態についての規定がないことにも触れます。

ここで言っているのは「戒厳」のことでしょうね。緊急事態については意見がいくつかあり、日本国憲法に緊急事態に関する規定がないことを「欠陥」とみなす「欠缺(けんけつ)説」と、逆に評価する「否認説」の2つがあります。「否認説」というのは、戒厳というのは国家が緊急事態に際し、国民の権利を一部制限したり、国家に超法規的な権限を与えるものなので、敢えて国家緊急権を規定しなかったという説です。こちらの立場では、いかなる緊急事態でも国家緊急権以外の手段を取るべきだとしています。
どちらも「学説」なので、どっちが正しいとは言えませんが、このマンガでは「欠缺説」のみが紹介されています。このマンガは「みんなで考えよう」と言いながら、自民党のスポークスマンのようなひいおじいさんが、自民党側の意見のみを紹介する構成になっています。
東日本大震災のことも言及していますが、憲法に緊急事態条項がなかったことで問題が発生したでしょうか? このように、この改憲推進マンガは、改憲を呼び掛けながら、現行憲法で発生している問題は何一つとして指摘することができていないのです。
これまで改憲されていないのを「考えないでほったらかしにしてた」からだと嘘を吐く卑怯な自民党
自民党に都合のいい意見のみを紹介したうえで「みんなで考えなくちゃならない」と述べるだけでなく、さらには、これまで日本で憲法改正がなされなかったのは「どれを変えてどれは今のままにするのかを考えないで放ったらかしにしてた」などと言いだします。あたかも「護憲」は何も考えていない結果であるかのような言い方ですが、そう思うのはあんたらほのぼの一家が憲法や法律に対してあまりに無知だっただけで(憲法が70年前に作られたことも知らないんだからなあ…)、考えた上で憲法を擁護している人も大勢いるんですよ、ほのぼの一家さん?

(↑「みんなで考えよう」と言いながらも、自民党のスポークスマンのような話しかしないおじいさん)

(↑「放ったらかしにしてた」って、それはアンタら一家が憲法に対してあまりに無知だったからそう思うだけだろ…。)
結局のところ、政治家が国民から信頼されないのは、このマンガのように「自分に都合のいい情報しか言わない」からなんでしょうね。明らかに自民党の憲法改正草案に沿った主張のみを紹介して「みんなで考えよう」って、それは単に「自民党の言うことに賛成しよう」ってだけのことじゃないんでしょうか。
このマンガは「憲法改正の是非を考える」マンガではなく、あくまで自民党の「憲法改正推進マンガ」です。自民党が作った冊子ですので仕方がないことですし、他の政党も自分に都合のいい主張しかしないだろうことは決まっているのですが、このマンガでは第1回の記事で紹介したGHQ内部の様子のように、明らかな捏造による印象操作まで行われています。そのような事実と異なる情報や絵による誇張を用いた印象操作、いい篝でしかない現行憲法批判まで用いて自民党の考える形の憲法改正に意見を誘導しながら、「皆で考えよう」と反対意見も尊重しているかのような民主主義を装っているこのマンガはやはり卑怯と言わざるを得ません。
次回は憲法改正手続きについて書かれたマンガの第3話の内容を見てみたいと思います。(はっきり言ってこの第3話は、マンガとしてのレベルがあまりにも低くて読むに堪えないから読みたくないんですけどね…)
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コメント
この記事を初めて読んだ当初、
「公益=みんなの利益」ならば「みんな」の中に「私」という個が含まれるので「公共の福祉」とは異なることに納得できませんでしたが、
政府が言葉を辞書通りに使うとは限らないと故・安倍さんに「募っているけど募集はしていない」という実例を以て教えてもらいました。
「公益」が社会一般の利益や公共の利益を意味しているとしても、「公」という文字に「統治機関」という意味が含まれている以上、「国益に反する人権は認めない」という解釈も可能である、ということで腑に落ちました。
別に政府が自書通りに言葉を使っても、「公」が「統治機関」を指さなくても、「公益」と「公共の福祉」は全く異なる概念です。
基本的に、全員の利益になるものなんて世の中にはないんですよ。「みんなの利益」と言っても、必ずそこに入らない人はいます。
例えばリニア新幹線は社会一般の「みんなの利益」になるんでしょうけれど、静岡を見ればわかる通り、遍く全員の利益になる事なんてないんですよ。つまるところ、「皆の利益」は「多数の人の利益」であって、絶対にその利益に与れない、それどころかむしろ害さえ被る少数が存在するんです。
権利の制限が「公共の福祉」だけの場合、自分たちの権利の為に声を上げることができます。圧倒的大多数がリニアの利益を得られようが、リニアで逆に被害を受けかねない人たちは自分たちの権利を主張することができます。
しかし、ここで自民党憲法の通りに
「公益及び公の秩序に反してはならない」
「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」
ということになると、リニア反対運動は「公益に反する」「公益を害することを目的としている」ってことになっちゃうんですよ。
だから「公益」と「公共の福祉」は全く異なる概念です。「公益=みんなの利益」の「みんな」に含まれない「個」が必ず存在します。「公共の福祉」という考え方ならば「個」は声を上げられますが、「公益」という考え方だと「みんな」の為に「個」は黙らされることになるのです。
成程、「みんな」の辞書の定義ではなく実際の使われ方の問題ですね。
言われてみれば、コロナ禍でのGoToキャンペーンもそうでした。
「今旅行なんて推進したら感染が一層広がるじゃん!」
とSNSに投稿することも
客足が遠のき経済が滞るので公益に反する行為と言えますか。
「公益」と「公共の福祉」は
「山を崩さない」と「谷に落とさない」のような違いだと思いました。
ご説明ありがとうございました。
入力ミス、2への返信です。