安保法案について、自民党は「2014年衆院選で民意を得た」ということを繰り返し述べています。例えば自民党長尾敬は、7割の議席を得たことを「有権者の意思」と呼び、現在の世論調査は「不正確」であり、民意ではない、と考えています。

(参照)
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一社だけならまだしも、ほぼすべての世論調査でこれだけ反対があるのに、それを「不正確」で民意ではないと言ってしまえるこの感覚に恐怖を感じます。

(参照)
さらに、こうやって世論調査は無視して選挙の結果のみを「世論」というくせに、自分のブログでは安保法制成立のために「世論の後押し」を「継続して」求め、戦争法案という「歪んだ主張」を「一蹴」したいと述べています。「戦争法案という誤解を解きたい」ではなく「一蹴したい」ってところが凄いですね。聞く耳一切なし。

↑自民党長尾敬議員のブログ。
「継続して」ってことは現在も世論の後押しがあるって思ってるって事ですが、世論調査の結果を世論と認めていないのに、一体この人はその「後押し」してくれている世論の存在をどこから判断したんですかね? 反対デモは見ないで、支援者だけを「世論」と見なしているって事でしょうか? 典型的な「見たいものしか見ない」「信じたいものしか信じない」タイプの人なのでしょう。
安倍総理は今年2月3日の衆院予算委員会で以下のように述べました。
安倍総理は「憲法が国家権力を縛る」という考えを否定したのです。そして、実際に与党の一存で憲法解釈を変えてしまいました。そりゃ、「理想と未来を語る」だけのものなら、権力者が自分の考える「理想」を押し付けることが可能ですからね。しかし、これは権力者が憲法の上に立ったことを意味します。憲法が権力者の下にある国なんて、私は中国と北朝鮮ぐらいしか知りません。
憲法学者の小林節慶大教授は「憲法を無視した政治を行おうとする以上、独裁の始まりだ」と批判しています。憲法解釈を自由に変えられるのなら、それはもう憲法が権力を縛っていない、つまり権力者が何でもできることを意味します。独裁と謗られても仕方がないでしょう。
事実、5月10日、与党提出の法案についての説明を「間違っている」と批判した野党に対し、「我々が提出する法律についての説明はまったく正しい。私は総理大臣なんですから」と答弁しています。説明の不備や矛盾を問題視されながら、自分が「正しい」という根拠が「私は総理大臣なんですから」というのは唯我独尊的考え方であり、政治のトップの人間の唯我独尊とは独裁のことです。

(↑8:30ぐらいから)
このように安倍総理は「私は正しいから正しい」と言うタイプの人間なのですが、議会制民主主義では、議員は国民の意見を政治に反映させるための、国民の代弁者です。日本では主権者は国民であり、議員ではありません。主権者である国民の反対の声が大きいならば、その声を反映させるのが民主主義国家の政治家の務めです。
それにもかかわらず、今回の安保法案について安倍総理はこう述べました。

(↑7/21 BS日テレ「深層NEWS」)
「自ら反みて縮くんば 千萬人と雖も吾往かん」
「自分が正しいのならば、どんなに反対があっても自分の道を進む」という意味です。
しかし今安倍総理が決めているのは安倍総理の道ではなく日本の道です。日本国民の道です。
個人だったら、誰の反対があろうと自分の道を貫くのは構いません。自分の道であり、正しいも間違いも決めるのは自分ですし、責任取るのも自分です。
しかし、国民に政治を任されている政治家が、「国民の反対があっても、自分が正しいと思うことをする」というのは独裁以外の何物でもありません。「国民が間違っている、自分が正しい」なんて考えが議会制民主主義国家で許されていいわけがありません。
国民は政治家に白紙委任状を渡したわけではありません。
自分が正しいと思っているなら、それを国民にしっかりと説明して信を得るのが政治家の義務です。それでも国民の信が得られないのであれば、どんなに自分が正しいと思っていても断念せねばなりません。主権者は国民なのですから。
「どんなに国民の反対があっても、自分が正しいと思うことをする」というこの安倍総理の発言は、事実上の独裁宣言だと言っても過言ではありません。
ついでに言っておくと、安倍総理は「千萬人と雖も吾往かん」、つまり「千万の反対があっても自分の道を押し通す」と言っていますが、世論調査によれば今回の法案に反対しているのは国民の5割以上。有権者だけに絞っても5000万の反対があります。千萬人の反対は聞かなくても、5000万人の反対は聞いたらどうですかね、安倍総理?
私は現在の自民党に対し、以下のような印象を持っています。
憲法改正については嘘をつく(参照)、
議論はかみ合わず、
言うことはコロコロ変わり(参照)
戦争を火事に例えるようなデタラメな例え話を出し、
「私が正しいと思うから、反対があっても実行する」と独裁宣言を行う。
今の自民党は、民主主義国家の政党の名に全く値しない、嘘つきと卑怯者の集団だと思います。現在の小選挙区制では難しいと思いますが、こんな集団は次の選挙で徹底的に落とさなければ、日本の民主主義は死にます。
現在日本は立憲主義と民主主義の危機にあります。
安倍自民党は12年の選挙で「日本を取り戻す!」とスローガンを掲げました。彼が一体何から、どんな日本を取り戻したかったのか未だにわかりませんが、民主主義継続を求める人は、今こそ「安倍政権から民主主義国家日本を取り戻す!」というのをスローガンに掲げ、この政権と対峙していかねばなりません。
安倍政権を倒さない限り、民主主義国家・立憲主義国家・平和主義国家としての日本は潰れると私は確信しています。
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(参照)
一社だけならまだしも、ほぼすべての世論調査でこれだけ反対があるのに、それを「不正確」で民意ではないと言ってしまえるこの感覚に恐怖を感じます。

(参照)
さらに、こうやって世論調査は無視して選挙の結果のみを「世論」というくせに、自分のブログでは安保法制成立のために「世論の後押し」を「継続して」求め、戦争法案という「歪んだ主張」を「一蹴」したいと述べています。「戦争法案という誤解を解きたい」ではなく「一蹴したい」ってところが凄いですね。聞く耳一切なし。

↑自民党長尾敬議員のブログ。
「継続して」ってことは現在も世論の後押しがあるって思ってるって事ですが、世論調査の結果を世論と認めていないのに、一体この人はその「後押し」してくれている世論の存在をどこから判断したんですかね? 反対デモは見ないで、支援者だけを「世論」と見なしているって事でしょうか? 典型的な「見たいものしか見ない」「信じたいものしか信じない」タイプの人なのでしょう。
この長尾敬という人は、例の勉強会で「沖縄メディアは左翼に支配されている」と言ったり、安保反対デモについて「警察発表だと5000人」という間違った情報を根拠に「10万人集まった」という主催者発表を「嘘」「罪」と罵ったり(参照)した人で、愛国カルト(ネトウヨ)が議員バッジをつけているようなものですから仕方がないかもしれませんが、こういう「見たいものしか見ない」人に政治家をやられては国民はたまらんですね。
さて、長尾敬のことはさておき、本当に自公2/3の議席は世論を正しく反映した結果であり、選挙で自民党の安保法制は世論の支持を得たのでしょうか?
まず、先の解散に伴う選挙は「アベノミクス解散」でした。総理自身が「アベノミクス解散」だと宣言し、自民党のポスターには「景気回復、この道しかない」と大きく書かれ、自民党発行の重点政策集にも経済についてに大きくスペースがとられ、今回の安保法案に言及してあるのは、26ページのパンフレットのうち1/3ページ、スペースにして全体の1/50以下しかない上、公約一覧の中では296ある公約の271番目に書かれているのです。

(↑自民党が選挙の際に作成した政策集。
今回の安保に関する記述は全体の50分の1もない上
約300の項目の271番目)
2014年に沖縄知事選で、「普天間基地の辺野古移設反対」をトップ政策に掲げた翁長氏が自民党推薦の仲井間氏に勝利をおさめた件について、菅官房長官は「振興策など色々なことが統合されて結果が出るから、基地移設反対の民意ではないと思う」と答えています。

(↑4月4日朝日新聞参照)
その後も那覇市長選、衆院選のどれも移設反対派が勝利しているにもかかわらず、基地移設反対をトップ政策に据えて反対派が勝利した沖縄知事選については「基地移設反対の民意ではない」と言い、アベノミクスをトップに掲げて自分たちが勝利した選挙については「安保法案の民意を得た」と考える自民党。
他の政党も似たようなものではありますが、こんな卑怯なことを言う連中がこの国のトップに座っているかと思うと恐ろしいです。
さらにもう一つ、自民党が「民意を得た」と言えない数字があります。得票率及び得票数です。
実は自民が大勝した今回の衆院選での自民党の得票数は、大敗した2009年の得票数より少ないのです。
自民党が大敗し野党になった2009年の選挙と、大勝した2014年の選挙の自公の得票数はこうなっています。
小選挙区
比例代表
このように、自民も公明も大敗した2009年と大勝した2014年では票数はほとんど変わらず、むしろ減っています。つまり、自公がダメダメの時もイケイケの時も投票してくれる固定票・組織票が入っているのであり、自公の政策が支持されて票を伸ばしたのではないのです。
さらに2014年の自公大勝の選挙も、与党と野党というくくりで見るとこうなっています。
小選挙区
比例代表
(以上の数字はWikipedia参照⇒2009年、2014年)
ご覧の通り、与野党の括りで見ると、野党の方が票を取っているのです。
にもかかわらず、議席数は与党が7で野党が3。小選挙区での死票は実に48%(日経参照)。国民の票の半分が政治に反映されなかったわけです。
投票率は2009年に69.3%だったものが2014年の選挙では52.7%に急落しています。これらのことから、
・自民党、公明党の支持は伸びていない
・09年に民主党に投票した人が
自民にも民主にも飽き飽きして投票自体しなかった。
(政治不信の蔓延)
・現在の選挙制度は民意を反映できていない。
(得票率と議席数の乖離、死票の多さ)
ということが言えます。
2014年の選挙での自民党の大勝は、「自民支持」という「民意」を反映したものではなく、政治不信と選挙制度の不備の結果に過ぎないです。
ついでに言っておくと、この選挙は各地で違憲判決が出ています。

12年の解散総選挙の際に選挙制度改革を約束しておきながら、2年間全く約束を守らないまま選挙を断行して違憲判決が出たわけです。この点でもこの選挙を根拠に「国民の信を得た」などと言うのはおかしいです。
これらのデータを見れば、選挙に民意を反映させるためには、48%もの死票が出る小選挙区制をやめ、1票の格差も是正しないといけないということが言えます。そのうえで国民の意見に真摯に向き合う政治を行うことで政治不信を払拭して投票率を挙げなければ、真に民意は反映されません。
じゃあ、現在事項は国民の意見に向き合って政治不信を払拭するように努めているでしょうか?
全く逆です。
与党や支持者は、自分たちが「選ばれた」ということを強調します。安保反対デモなどで「安倍独裁政権」と言われると、「民主的な選挙で選ばれたのに何が独裁だ」と言います。
しかし、民主主義は選挙で選ばれた者に白紙委任状を渡す制度ではありません。選挙で選ばれたなら何でもしていい、というのならそれは選挙で独裁者を選んだにすぎなくなります。選ばれた人が暴走しないためにあるものが憲法です。選ばれた権力者に憲法を順守する義務を負わせることで、権力の暴走を食い止めています。
このように、憲法が全ての権力の上に立ち、権力者が憲法に従って統治する、言い換えると憲法が権力者を縛るのが「立憲主義」なわけですが、安倍総理はこの考え方を否定しています。
アベノミクスを隠れ蓑にした安保法案
さて、長尾敬のことはさておき、本当に自公2/3の議席は世論を正しく反映した結果であり、選挙で自民党の安保法制は世論の支持を得たのでしょうか?
まず、先の解散に伴う選挙は「アベノミクス解散」でした。総理自身が「アベノミクス解散」だと宣言し、自民党のポスターには「景気回復、この道しかない」と大きく書かれ、自民党発行の重点政策集にも経済についてに大きくスペースがとられ、今回の安保法案に言及してあるのは、26ページのパンフレットのうち1/3ページ、スペースにして全体の1/50以下しかない上、公約一覧の中では296ある公約の271番目に書かれているのです。

(↑自民党が選挙の際に作成した政策集。
今回の安保に関する記述は全体の50分の1もない上
約300の項目の271番目)
2014年に沖縄知事選で、「普天間基地の辺野古移設反対」をトップ政策に掲げた翁長氏が自民党推薦の仲井間氏に勝利をおさめた件について、菅官房長官は「振興策など色々なことが統合されて結果が出るから、基地移設反対の民意ではないと思う」と答えています。

(↑4月4日朝日新聞参照)
その後も那覇市長選、衆院選のどれも移設反対派が勝利しているにもかかわらず、基地移設反対をトップ政策に据えて反対派が勝利した沖縄知事選については「基地移設反対の民意ではない」と言い、アベノミクスをトップに掲げて自分たちが勝利した選挙については「安保法案の民意を得た」と考える自民党。
他の政党も似たようなものではありますが、こんな卑怯なことを言う連中がこの国のトップに座っているかと思うと恐ろしいです。
民意を反映できない現行選挙
さらにもう一つ、自民党が「民意を得た」と言えない数字があります。得票率及び得票数です。
実は自民が大勝した今回の衆院選での自民党の得票数は、大敗した2009年の得票数より少ないのです。
自民党が大敗し野党になった2009年の選挙と、大勝した2014年の選挙の自公の得票数はこうなっています。
小選挙区
自民党 | 27,301,982 | 25,461,448 |
公明党 | 782,984 | 765,390 |
比例代表
自民党 | 18,810,217 | 17,658,916 |
公明党 | 8,054,007 | 7,314,236 |
このように、自民も公明も大敗した2009年と大勝した2014年では票数はほとんど変わらず、むしろ減っています。つまり、自公がダメダメの時もイケイケの時も投票してくれる固定票・組織票が入っているのであり、自公の政策が支持されて票を伸ばしたのではないのです。
さらに2014年の自公大勝の選挙も、与党と野党というくくりで見るとこうなっています。
小選挙区
与党(自公) | 49.54% | 232(78.64%) |
野党(その他) | 50.46% | 63(21.36%) |
比例代表
与党(自公) | 46.82% | 94(52.22%) |
野党(その他) | 53.18% | 86(47.78%) |
ご覧の通り、与野党の括りで見ると、野党の方が票を取っているのです。
にもかかわらず、議席数は与党が7で野党が3。小選挙区での死票は実に48%(日経参照)。国民の票の半分が政治に反映されなかったわけです。
投票率は2009年に69.3%だったものが2014年の選挙では52.7%に急落しています。これらのことから、
・自民党、公明党の支持は伸びていない
・09年に民主党に投票した人が
自民にも民主にも飽き飽きして投票自体しなかった。
(政治不信の蔓延)
・現在の選挙制度は民意を反映できていない。
(得票率と議席数の乖離、死票の多さ)
ということが言えます。
2014年の選挙での自民党の大勝は、「自民支持」という「民意」を反映したものではなく、政治不信と選挙制度の不備の結果に過ぎないです。
ついでに言っておくと、この選挙は各地で違憲判決が出ています。

12年の解散総選挙の際に選挙制度改革を約束しておきながら、2年間全く約束を守らないまま選挙を断行して違憲判決が出たわけです。この点でもこの選挙を根拠に「国民の信を得た」などと言うのはおかしいです。
これらのデータを見れば、選挙に民意を反映させるためには、48%もの死票が出る小選挙区制をやめ、1票の格差も是正しないといけないということが言えます。そのうえで国民の意見に真摯に向き合う政治を行うことで政治不信を払拭して投票率を挙げなければ、真に民意は反映されません。
じゃあ、現在事項は国民の意見に向き合って政治不信を払拭するように努めているでしょうか?
全く逆です。
安倍総理の独裁宣言
与党や支持者は、自分たちが「選ばれた」ということを強調します。安保反対デモなどで「安倍独裁政権」と言われると、「民主的な選挙で選ばれたのに何が独裁だ」と言います。
しかし、民主主義は選挙で選ばれた者に白紙委任状を渡す制度ではありません。選挙で選ばれたなら何でもしていい、というのならそれは選挙で独裁者を選んだにすぎなくなります。選ばれた人が暴走しないためにあるものが憲法です。選ばれた権力者に憲法を順守する義務を負わせることで、権力の暴走を食い止めています。
このように、憲法が全ての権力の上に立ち、権力者が憲法に従って統治する、言い換えると憲法が権力者を縛るのが「立憲主義」なわけですが、安倍総理はこの考え方を否定しています。
安倍総理は今年2月3日の衆院予算委員会で以下のように述べました。
憲法について、考え方の一つとして、いわば国家権力を縛るものだという考え方はありますが、しかし、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方であって、今まさに憲法というのは、日本という国の形、そして理想と未来を語るものではないか、このように思います。(「法と経済のジャーナル」参照) |
安倍総理は「憲法が国家権力を縛る」という考えを否定したのです。そして、実際に与党の一存で憲法解釈を変えてしまいました。そりゃ、「理想と未来を語る」だけのものなら、権力者が自分の考える「理想」を押し付けることが可能ですからね。しかし、これは権力者が憲法の上に立ったことを意味します。憲法が権力者の下にある国なんて、私は中国と北朝鮮ぐらいしか知りません。
憲法学者の小林節慶大教授は「憲法を無視した政治を行おうとする以上、独裁の始まりだ」と批判しています。憲法解釈を自由に変えられるのなら、それはもう憲法が権力を縛っていない、つまり権力者が何でもできることを意味します。独裁と謗られても仕方がないでしょう。
事実、5月10日、与党提出の法案についての説明を「間違っている」と批判した野党に対し、「我々が提出する法律についての説明はまったく正しい。私は総理大臣なんですから」と答弁しています。説明の不備や矛盾を問題視されながら、自分が「正しい」という根拠が「私は総理大臣なんですから」というのは唯我独尊的考え方であり、政治のトップの人間の唯我独尊とは独裁のことです。

(↑8:30ぐらいから)
このように安倍総理は「私は正しいから正しい」と言うタイプの人間なのですが、議会制民主主義では、議員は国民の意見を政治に反映させるための、国民の代弁者です。日本では主権者は国民であり、議員ではありません。主権者である国民の反対の声が大きいならば、その声を反映させるのが民主主義国家の政治家の務めです。
それにもかかわらず、今回の安保法案について安倍総理はこう述べました。

(↑7/21 BS日テレ「深層NEWS」)
「自ら反みて縮くんば 千萬人と雖も吾往かん」
「自分が正しいのならば、どんなに反対があっても自分の道を進む」という意味です。
しかし今安倍総理が決めているのは安倍総理の道ではなく日本の道です。日本国民の道です。
個人だったら、誰の反対があろうと自分の道を貫くのは構いません。自分の道であり、正しいも間違いも決めるのは自分ですし、責任取るのも自分です。
しかし、国民に政治を任されている政治家が、「国民の反対があっても、自分が正しいと思うことをする」というのは独裁以外の何物でもありません。「国民が間違っている、自分が正しい」なんて考えが議会制民主主義国家で許されていいわけがありません。
国民は政治家に白紙委任状を渡したわけではありません。
自分が正しいと思っているなら、それを国民にしっかりと説明して信を得るのが政治家の義務です。それでも国民の信が得られないのであれば、どんなに自分が正しいと思っていても断念せねばなりません。主権者は国民なのですから。
「どんなに国民の反対があっても、自分が正しいと思うことをする」というこの安倍総理の発言は、事実上の独裁宣言だと言っても過言ではありません。
ついでに言っておくと、安倍総理は「千萬人と雖も吾往かん」、つまり「千万の反対があっても自分の道を押し通す」と言っていますが、世論調査によれば今回の法案に反対しているのは国民の5割以上。有権者だけに絞っても5000万の反対があります。千萬人の反対は聞かなくても、5000万人の反対は聞いたらどうですかね、安倍総理?
私は現在の自民党に対し、以下のような印象を持っています。
憲法改正については嘘をつく(参照)、
議論はかみ合わず、
言うことはコロコロ変わり(参照)
戦争を火事に例えるようなデタラメな例え話を出し、
「私が正しいと思うから、反対があっても実行する」と独裁宣言を行う。
今の自民党は、民主主義国家の政党の名に全く値しない、嘘つきと卑怯者の集団だと思います。現在の小選挙区制では難しいと思いますが、こんな集団は次の選挙で徹底的に落とさなければ、日本の民主主義は死にます。
現在日本は立憲主義と民主主義の危機にあります。
安倍自民党は12年の選挙で「日本を取り戻す!」とスローガンを掲げました。彼が一体何から、どんな日本を取り戻したかったのか未だにわかりませんが、民主主義継続を求める人は、今こそ「安倍政権から民主主義国家日本を取り戻す!」というのをスローガンに掲げ、この政権と対峙していかねばなりません。
安倍政権を倒さない限り、民主主義国家・立憲主義国家・平和主義国家としての日本は潰れると私は確信しています。
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