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蓮舫氏の二重国籍疑惑が突然浮上しております。この問題について、八幡和郎という徳島文理大学大学院教授が『アゴラ』というサイトで繰り返しこのことを記事にしています。


ところが、そこで言っていることは誠に偏狭なナショナリズム。国籍や帰化などを考える一助になるのではないかと思い、紹介したいと思います。
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八幡氏の執筆した記事は多数ありますので、何度かに分けて紹介したいと思いますが、今回はまず「せめて戸籍通り村田蓮舫で首相をめざして欲しい」というところを紹介したいと思います。

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アゴラ2016年8月15日

「『蓮舫』はダメだけど『アントニオ猪木』はいい」という八幡和郎の謎理論


まず、八幡氏は蓮舫氏の本名は村田蓮舫なのに、それを使わずに「蓮舫」というファーストネームのみで議員活動をしていることを問題視します。

結婚して日本の戸籍上は村田蓮舫。参議院選挙は芸名などで出馬することが認められているので蓮舫だが、参議院議員としての正式名は村田蓮舫です。大臣としては法律執行に基づく書類は村田蓮舫でそれ以外は蓮舫だ。

これは、扇千景さんが本名林寛子さんと使い分けたのと同じ原則だ。しかし、そもそも、蓮舫はファーストネームだから、扇千景とかアントニオ猪木とかいうように、氏名の形になっておらず、イチローとかいうのと同じで、普通の通名とは違う。こんなので選挙をできるのすらおかしい。

しかし、少なくとも、総理が芸名、それもファーストネームだけでは変だ。

「氏名の形になっておらず、普通の通名とは違う。こんなので選挙をできるのすらおかしい」と言っていますが、いったい何を基準に「おかしい」と言っているのでしょう。別に法律上規制されているわけではありません。「アントニオ猪木」が構わないが「蓮舫」はダメだ、という八幡氏の感覚を理解できる人がどれだけいるでしょうか? 少なくとも私には理解不能です。

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↑八幡によると、「蓮舫」は名前だけだから駄目だけど、「アントニオ猪木」は名前と苗字になってるからいいらしい。

最初からただ批判ありきであるということが既にここからわかります。


「中華風の名前が気に食わない」しか言えない八幡和郎


なぜ八幡氏が蓮舫氏の名前を批判するかというと、その名前が中国風の名前だからです。結局のところ、中国風の名前を使っているから気に食わない、ということなのです。

また、この蓮舫という名で押し通すことは、日本的な名前を絶対に避けたいという印象もする。
蓮舫さんの場合には、日本国籍取得時に日本風の名前に出来るし、そうするのが一般的なのにあえてそれをしなかったわけで、わざわざ蓮舫という芸名にしても、あえて斉藤蓮舫とかせずに中国後のファーストネームだけを使い、国会議員としても村田蓮舫としないのですから華人としての意識の強さを押しだした生き方だ。

また、ツイッターのアカウントではrenho_sha(謝蓮舫)を使っている。ともかく、本名の斉藤も村田も使わなくていい限り絶対に使わないという姿勢で一貫している。

「日本に帰化(日本国籍を選択)したなら日本風の名前を使え」という傲慢さが見て取れます。


二重国籍を認めていない日本の場合、どちらかの国籍を選択することが求められますが、そのとき日本国籍を選んだら、もう一方のアイデンティティは捨てなければならないのでしょうか。逆に外国籍を選んだら、日本人としてのアイデンティティは捨てなければならないのでしょうか。


いろいろな考え方の人がいる中、ハーフの人が一方の国籍を選択したとしても、両方のアイデンティティを持ち続けることに何の問題があるでしょうか。日本で生まれ育ち、日本国籍を選択したが、名前は父親の国のアイデンティティを残したい、ということだってあるでしょう。それの何がおかしなことでしょうか。


一方、バラク・オバマは英語名でないのに大統領をしていますが、これについては「本名だから問題ない」と言います。ずいぶんと勝手な理屈です。蓮舫の「村田」というのは夫の姓です。日本国籍取得以前は「謝蓮舫」で、母親の姓は「斉藤」でした。「謝蓮舫」「斉藤蓮舫」「村田蓮舫」の3つがある人が、どれか一つを選ばずに「蓮舫」とだけ名乗って、何が悪いでしょうか。


結局のところ「蓮舫」という中華系の名前が気に食わないだけなのでしょう。



「蓮舫」と名乗るだけで「日本的なものを拒否されている、華人としての意識が強烈な人」だという八幡和郎の妄想


八幡の主張はどんどんエスカレートし、何の根拠もないただの個人の願望に終始します。

これを単純に反日的だとか決めつけるつもりは毛頭ないが、自分は中国系のルーツをもつが、日本が好きで日本人であることを選び、日本の愛国者だと仰りたいとすれば(そんなことおっしゃったことも私が知る限りいっさいありません)、わざわざ日本的なものを拒否されている、華人としての意識が強烈な人だという証左にはなってしまう。少なくとも、それを補うべく、より分かりやすく日本国民意識を示すことを考えて欲しいと思う。

また、もし、日本人を父として、中国人や韓国人を母とし、生まれたときに、日本人鈴木花子さんだった人が、母親の国籍を選択して、謝花子さんになったとして、芸名や選挙のときに「花子」だけで押し通し、通名でも「謝」という姓を拒否して、「花子」だけで通し、SNSで「hanako suzuki」と名乗り、中国や韓国の主席や大統領として「花子中華人民共和国首席」とか「花子韓国大統領」とか名乗ることに固執したとして、両国民が受け入れるとは絶対にあり得ないと思います。日本国民はまことに寛容というかお人好しだ。

また、これまで参議院議員として良かったことがなぜ民進党党首や首相としてダメなのかという人もいるが、やはり首相は天皇陛下に次ぐ、国を代表する顔ですから程度問題として違って当然だ。

蓮舫さんにはこれを機会に、せめて、本名の村田蓮舫さん一本でやっていくと宣言することを勧めるし、民進党の人たちもそれを党首となる条件に出して欲しいと思う。

もう全く論理性のかけらもない。名前ごときで「日本的なものを拒否している」だの「華人意識が強烈」だの実に勝手な決めつけです。先ほども述べました通り、ハーフなんですから、両方のアイデンティティを持っていようと構わないでしょう。


八幡和郎は「中国や韓国の主席や大統領として『花子中華人民共和国首席』とか『花子韓国大統領』とか名乗ることに固執したとして、両国民が受け入れるとは絶対にあり得ないと思います」とか言ってますけど、じゃあ、アイゼンハワーはどうでしょうか? 思いっきりドイツ名ですよ。こんなドイツ名でドイツ戦線の指揮官をやってた上に、アメリカ大統領になったんですよ。

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↑思いっきりドイツ名でドイツ戦線の指揮官をやってたアイゼンハワー。


それに、バラク・オバマだって、フルネームはバラク・フセイン・オバマ二世です。アメリカでは「フセイン」という名前のイメージが悪いので普段は「フセイン」と名乗っていないのだと思いますが、村田蓮舫が「蓮舫」と名乗るのがダメなら、バラク・フセイン・オバマ二世がバラク・オバマと名乗るのだってダメなはずです。


そして、「蓮舫」という名前の首相を認めるか認めないかなんて、八幡氏が決めることではありません。「(それを認めるなら)日本国民はまことにお人好しだ」と言っていますが、私には名前にケチをつける人物が了見が狭いだけにしか思えません。アイゼンハワーがアメリカ大統領になれるんだから、名前なんて気にする必要はないと思うのですが。


蓮舫はもともと芸能活動をしていたころから「蓮舫」だったので、「アントニオ猪木」と同じ理屈です。それが党首になるなら日本的な感じを出すために「村田蓮舫」にしろ、それを党首になる条件にしろなど、民族差別という他ないでしょう。


「アイゼンハワーはドイツ系の名前だから英語流に変えろ」
「ケネディはアイルランド系の名前だから英語流に変えろ」
「バラク・オバマはアフリカ系の名前だから英語流に変えろ」
「蓮舫は中華系の名前だから日本流に変えろ」
こんなこと言う方がおかしいのです。


蓮舫に日本らしさを求めながら自分は日本語も碌に使えない八幡和郎


そしてこの記事の最後は、全く日本語になっていない文で締めくくられています。一般人の個人ブログならまだしも、この人は自分で書いた文章を推敲しないのでしょうか。

もちろん、これを機に日本風の名前に改名したいといえば、家庭裁判所で問題なく認められもすると思いうし、するべきだとはまったく申しませんが、選択肢だ(原文ママ)

うーむ、ひどい日本語です。ほかにも、この人全体的に「ですます」調と「だ」調が混じっているんですが、日本人だとか何だとか言うのなら、八幡がまずまともな日本語を使うことで、日本国民意識を示してもらいたいですね。


また、別の記事では「蓮舫という中国風ファーストネームで首相をめざすとは日本人はよほどなめられているなんて発言までしています。アイゼンハワーというドイツ名で対独戦の指揮官をやったり大統領になったりした人や、バラクというスワヒリ語の名前で大統領やった人がいるし、イギリス王室だって第1次大戦まではハノーバー朝というドイツ名を名乗っていたのに(ドイツが敵国になったからやめた)。


自分の考える形の「日本」や「日本人」しか認めない偏狭なナショナリズムは実に有害です。政治家の政策や力量を問題にするのは当然のことですが、どんな名前を名乗るかで、日本の政治家にふさわしくないように述べる主張に論理性は一切ないというしかありません。


『アゴラ』の蓮舫批判記事は次回に続きます。

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