日本維新の会足立康史氏がこんな発言をしていました。

>>国籍のことを言うのはポリコレに反するので
>>本当は控えたいのですが、
>>ストレスたまると午後の地元活動に影響するので
>>書いてしまいます。


つまり「本当は書くべきじゃないって分かってるけど、自分のストレス発散の為に蓮舫と白眞勲を批判するよ」って言ってるわけで、この時点で既に相当な問題発言だと思いますが、本人が「ポリコレに反する」とわかっている通り、続く発言も偏見に満ちた中身のない中傷になっています。


>>普通、帰化した政治家は

>>国への忠誠をオーバーなほど表現するものですが、
>>民進党議員は反対で、
>>蓮舫代表の言動は中国の、
>>憲法審の白眞勲委員は朝鮮の代弁者のようです



前回、中国と台湾の区別もつかずに蓮舫を中国のスパイ扱いしている連中が大勢いるということを紹介しましたが、蓮舫が中国の代弁者のようだなんて言っている足立氏も、蓮舫の父親が台湾じゃなくて中国だと勘違いしているんじゃないでしょうか?


それはそうと、蓮舫が中国の、白眞勲が朝鮮の代弁者だなんて、どの辺でそんな風に感じているのでしょう? 説明できるものなら説明してもらいたいものですし、足立氏は「普通、帰化した政治家は国への忠誠をオーバーなほど表現する」と言っていますが、「普通」って何でしょうか? 国への忠誠をオーバーなほど表現する帰化政治家ってどこの誰のことでしょうか? 足立氏は具体例を挙げられるのでしょうか?


そして、そもそも足立氏が言う「国への忠誠」とは何なのでしょうか?

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蓮舫の二重国籍を追及した八幡和郎氏も、「国への忠誠」という言葉を繰り返し使っていました。彼は「台湾から帰化した蓮舫が首相になれる条件」として、こんなことを言っていました。(詳しくは以前の記事参照

①国籍選択の経緯を説明し、
②現在や国籍選択後に二重国籍でなかったことを証明し、
③日台・日中の懸案問題について所見を明確に述べ、
④台湾の親戚などについても情報を公開し、
⑤日本国への忠誠や愛国心について決意を示す

アゴラ2016年8月12日参照

もう「台湾の親戚などについても情報を公開」なんて、プライバシーも何もない信じがたい発言ですし、これだと家族が公開に合意しなければ本人の政治活動が制限されてしまいます。八幡氏は「全て国民は個人として尊重される」ということを知らないのでしょうか?


そして、最も気になるのは、⑤「日本国への忠誠や愛国心についての決意を示す」という箇所です。中世や愛国心を示すって、何をどうしろって言うんでしょうか?


八幡氏は、こんなことを言っています。

地域社会でも企業でも、よそ者や途中入社組が忠誠心を問われ、新参者が地域や会社を愛していると決意を述べるのは当たり前だと思うからだ。もちろん、新参者だからというだけで排除するのはダメだが、愛情や忠誠を糾すのは普通のことだ。

地方選挙でも地元出身者ででない人が出馬したら、選挙にあたっても、就任してからあとも、ことあるごとに第二の故郷への愛着を語り、骨を埋めて頑張る覚悟を誓う。


言ってることが何から何までおかしい。


以前の記事でも書きましたが、蓮舫はもともと母親が日本人で日本生まれ日本育ちだから「よそ者」と言うのがそもそもおかしいし、「新参者だからというだけで排除するのはダメだ」と言いながら、「愛情や忠誠を糾すのは普通」と言うとは、わずか一文のなかで矛盾を生じさせています。他の人にわざわざ求めない行動を新参者にだけ求めるというのは、「新参者だからというだけで排除する」ことに他ならないでしょう。


また、「地域社会でも企業でも、よそ者や途中入社組が忠誠心を問われ、新参者が地域や会社を愛していると決意を述べるのは当たり前だと思う」などと言っていますが、そんな当たり前がいったいどの世界にあるのでしょう? 東京に出てきて、「東京を愛している」と決意を述べさせられた地方出身者なんて見たことないですよ。


新参者に忠誠心を問うなんて、地方出身者が東京に出てきたら巨人の応援を強要するかのような話です。広島出身者が東京に引っ越したら、カープの応援をやめて巨人を応援して、東京への愛を示せというのでしょうか? 別に東京に住んでたって、地元愛を失う必要なんてないと思うんですけど。八幡氏の発想はまさに踏み絵です。


転職して、新しい職場への忠誠心を問われた人なんていますか? そりゃ、「この会社で頑張ります」とか「この地域のために頑張ります」とかは言いますよ。しかし、それぐらいの事、蓮舫だってだれだって選挙演説で幾らでもやってるでしょ。それ以上何を求めてるんですかね? 


そして、彼らの発言で、最も理解しがたいのが、「国への忠誠」という部分です。


足立氏は「普通、帰化した政治家は国への忠誠をオーバーなほど表現するもの」と言っています。そんな「普通」が世界のどこにあるのでしょう? 「国への忠誠をオーバーなほどに表現する」帰化した政治家というのを見せてもらいたいものです。アーノルド・シュワルツェネッガーが「国への忠誠をオーバーなほどに表現」したのでしょうか?


本当に、足立氏や八幡氏は、一体どうやったら「国への忠誠を示した」ことになると考えているのでしょう。


例えばアメリカ合衆国に帰化する際には「忠誠の誓い」というのをさせられます。それは以下のようなものです。

・アメリカ合衆国憲法への忠誠の誓い
・以前保持したすべての外国への忠誠の放棄の誓い
・国内外の敵からアメリカ合衆国憲法を守る誓い
・法律が定めた場合、兵役に従事する約束
・国家の大事の際、法律が定めた市民としての義務を果たす約束

ご覧の通り、合衆国への忠誠というのは、「合衆国憲法への忠誠」なんですよ。そりゃそうですよね。国内問題にしろ外交問題にしろ、多様な意見が認められなければならないわけですから。例えば、合衆国のやる戦争に反対したら「国への忠誠がない」なんて言われたらたまらんわけです。


日本でも、「日本への忠誠」と言うのなら、日本国憲法への忠誠であるはずです。ところが、足立氏も八幡氏も、日本国憲法へは忠誠を誓うどころか、日本国憲法を中傷してばかりです。「国への忠誠」と言うのなら、彼らこそ日本国への忠誠心がないと糾弾されなければなりません。


足立氏や八幡氏は「国への忠誠」という、内容のない空虚な言葉を用いますが、自分の信念に基づいて、自分が正しいと思うこと、自分が日本のために良いことだと思うことをしていれば、それでいいはずです。


例えば、戦前戦中に、斎藤隆夫は日中戦争を批判し、国家総動員法を批判するなどして、軍部やファシズムに抵抗しました。当時の体制派の人たちからすれば、「国への忠誠」がない行為だったことでしょう。事実、彼は衆議院議員を除名されています。しかし、後の歴史の観点から見れば、斎藤隆夫の言っていたことは正しく、まさに日本のためを思っての行動だったと言えます。


ネトウヨ(愛国カルト)は、自分の考える「愛国」の在り方だけを是とし、他の考えを「反日」扱いします。安保法案に反対したら反日、共謀罪に反対したら反日、首相の靖国神社参拝に反対したら反日、という具合です。


結局、彼らは自分の考える「愛国」の在り方を実行しない人間を、「国への忠誠心」がないと非難しているにすぎません。自分の独善的な「愛国」を他人に押し付けているだけです。


他人に「国への忠誠」を求める奴をみたら、「『国への忠誠』とは何か?」と聞いてみればいいです。絶対にまともに答えることはできませんから。何が「日本のため」になるかは人によって違うわけですから、結局自分の考える「愛国」のあり方を他人に押し付けているだけです。


最後に、夏目漱石の『吾輩は猫である』から、大和魂についての記述を引用してみましょう。

大和魂! と叫んで日本人が肺病 やみのような咳をした 大和魂! と新聞屋が云う。 大和魂! と掏摸が云う。 大和魂が一躍して海を渡った。 英国で大和魂の演説をする。 独逸で大和魂の芝居をする。

東郷大将が大和魂を有っている。 肴屋の銀さんも大和魂を有っている。 詐偽師、山師、人殺しも大和魂を有っている。

大和魂はどんなものかと聞いたら、 大和魂さと答えて行き過ぎた。 五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた。

三角なものが大和魂か、 四角なものが大和魂か。 大和魂は名前の示すごとく魂である。 魂であるから常にふらふらしている。

誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。 誰も聞いた事はあるが、誰も遇った者がない。 大和魂はそれ天狗の類か。

大和魂だとか愛国心だとか、そんなものは人によって違い、三角だったり四角だったりするのです。そして、三角な愛国心を持っている人は、四角な愛国心を持っている人にたいし、「お前は愛国心がない」と言うわけです。


他人に「愛国心を示せ」「国への忠誠心を示せ」などと言うのは誠に空虚なものでしかありません。そんなことを他人に強要する人は信頼してはいけません。


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吾輩は猫である
夏目 漱石
2012-09-27

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