(この記事は2017/12/05の再掲です)
ざっくり言うと
- 「廃案」は対案である
- 「文句を言うなら対案を出せ」は、期限内に何かをやらなければならない、何かを変えなければならないという合意が前提にある場合のみ。その合意ない場合、反対派は対案を出す必要などなく廃案を主張すればよい。
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安保法案の時も、共謀罪の時も、そして憲法改正においても、自民党とその支持者は、「野党は文句ばっかりで対案を出さない」「批判するなら対案を出せ」と言い続けました。
安倍晋三その人も、憲法問題について、「自民案を批判するなら対案を出せ」と野党に迫りました。
>>首相は「(野党が)具体的な憲法改正草案を出していないのは事実だ。
>>弱弱しい言い訳に過ぎない。
>>政治家だったら(草案を)出してほしい」と切り捨てた
(産経新聞2016年2月4日)
>>安倍晋三首相(自民党総裁)は(略)
>>憲法改正について(略)
>>「各党はただ単に反対という主張ではなく、
>>自分たちはこう考えているという案を持ち寄って頂きたい」
>>と訴えた
(産経新聞2017年7月23日)
この一見正論に聞こえる「対案を出せ」論に、騙されてはいけません。「廃案」も立派な対案だからです。
絶対に何か案を出して、無理やりでも決めなければならない状況であれば、「文句ばかり言ってないで対案を出せ」は正論です。例えば、学校の文化祭のクラスの出し物を決めるのであれば、無理やりでも何か決める必要があるので、「今の案に文句があるなら対案を出せ」は、その通りの話だと思います。
しかし、安保法案や、共謀罪や、憲法改正は、そうではありません。なぜか安倍自民党やその支持者は、法改正前提で議論を進めようとしますが、文化祭のクラスの出し物と違い、「安保を変えなければならない」とか「憲法を変えなければならない」なんて前提は存在しないわけです。その合意がないのに、安保を変えること前提、組織的犯罪防止法を変えること前提、憲法を変えることを前提にして議論を展開し、「文句を言うなら対案を出せ」と言うのは、実に卑怯なごまかしです。
たとえ話をしましょう。
このレストランの従業員の間には、「これまでのメニューはダメだ! 新メニューを作らないといけない」という共通認識が存在しないわけです。だったら、新メニューを作りたい人が、新メニューを作らなければいけない理由を説明し、これまでの新メニューよりも良いものを提示するのが当たり前です。他の従業員は、説明に納得できず、かつこれまでのメニューの方がよいと思えば、新メニュー案を却下するだけでいいんです。「新メニューを作らなければならない」という合意がない以上、現在のメニューが好きな人たちが、わざわざ現在のメニューを変える対案を出す必要なんてないんです。
別の言い方をすれば、「新メニュー」という案に対し、「現在のメニュー」という対案を出しているのと同じなんです。「現在のメニュー」を対案として認めないというのがおかしいんです。
また、仮に「新メニューを作る」という合意が出来たとしても、相手に新メニュー案を作る時間を与えず、「君たち新メニュー案ある? え、ない? じゃあ僕のが採用ね!」とはなりません。
別の例もだしますね。
日本語をアルファベット表記にしようという案は、明治維新直後と終戦直後にはかなり現実味のある話でしたからね(「ローマ字論」参照)。他にも森有礼は日本語を廃止して英語を公用語にしようと提案していましたし、志賀直哉はフランス語を公用語にしようと提案していました。
仮に「グローバル化に対応しなければならない」という点では合意があったとしても、「日本語をローマ字表記に変える」なんて案には、対案なんて提出する必要ありません。「却下」。それだけで十分です。「現在の日本語を維持」。これで十分対案です。
最後に、対案中のネトウヨさんたちでも理解できそうな例を出してみましょう。現在、ソウル大使館に慰安婦の少女像が置かれており、海外にもいくつか少女像がおかれています。
↑在韓日本大使館前の慰安婦像
当然、日本側はこれに強く抗議していますが、それでもし、韓国側がこう言ったらどう思いますか?
「この少女像が嫌だと言うなら、どういう像ならいいのか。対案となる像の案を持って来い」
こんなこと言われたらネトウヨさんは、「はああああ!!!??? お前、頭おかしいんちゃうか!!!??? 対案なんているか!! 撤去だ撤去!!!!」って言うんじゃないですか? 「日本大使館前に像を建てる」という前提なんて存在しないんだから、「対案なんて必要あるか! 撤去すりゃいいんだ」となるでしょ。
「対案厨」と呼ばれるような人たちがやってるのは、これと同じですよ。
勝手に「日本大使館前に像を建てる」という前提を作って、「この像に反対なら、対案となる別の像のデザインを持って来い」と言う。
勝手に「憲法を改正する」という前提を作って、「この改正案に反対なら、対案となる別の改正案を持って来い」と言う。
全く同じレベルですよ。
安保も共謀罪も憲法も、「変えなければならない」という前提なんて存在しないんだから、対抗案を提出する必要などなく、「廃案」が対案です。
予算案のようにどうしたって期限までに作らなければいけないものであれば、「文句を言うなら対案を出せ」と言うのは理解できますが、安保や共謀罪や憲法のように、立法や改正をしなければならないという前提のない中で、「文句があるなら対案を出せ。対案がないならこのまま通す」というのは、卑怯極まりない手法です。こういう「対案厨」に騙されないようにしましょう。
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安保にも共謀罪にも改憲にも「対案」など要らない
安保法案の時も、共謀罪の時も、そして憲法改正においても、自民党とその支持者は、「野党は文句ばっかりで対案を出さない」「批判するなら対案を出せ」と言い続けました。
ではあなたは日本のためにどういう法案でいきますか。俗に言う対案です。それを聞かせてもらってから初めて議論が始まりますね。
— だっきんきん (@pidakki_) 2017年12月4日
幸田真音「アメリカはトップにNoが言えて健康的!どこかの国の忖度と違い正しいことは正しいと判断出来る!議論できるだけマシ!」
— DAPPI (@take_off_dress) 2017年11月26日
日本が議論が出来てないと感じるのは野党が対案ではなく批判のみだからです。
コメンテーターが野党を忖度し全く批判しないことこそ異常です#サンデーモーニング pic.twitter.com/QuSM3LNNJq
安倍晋三その人も、憲法問題について、「自民案を批判するなら対案を出せ」と野党に迫りました。
>>首相は「(野党が)具体的な憲法改正草案を出していないのは事実だ。
>>弱弱しい言い訳に過ぎない。
>>政治家だったら(草案を)出してほしい」と切り捨てた
(産経新聞2016年2月4日)
>>安倍晋三首相(自民党総裁)は(略)
>>憲法改正について(略)
>>「各党はただ単に反対という主張ではなく、
>>自分たちはこう考えているという案を持ち寄って頂きたい」
>>と訴えた
(産経新聞2017年7月23日)
この一見正論に聞こえる「対案を出せ」論に、騙されてはいけません。「廃案」も立派な対案だからです。
絶対に何か案を出して、無理やりでも決めなければならない状況であれば、「文句ばかり言ってないで対案を出せ」は正論です。例えば、学校の文化祭のクラスの出し物を決めるのであれば、無理やりでも何か決める必要があるので、「今の案に文句があるなら対案を出せ」は、その通りの話だと思います。
しかし、安保法案や、共謀罪や、憲法改正は、そうではありません。なぜか安倍自民党やその支持者は、法改正前提で議論を進めようとしますが、文化祭のクラスの出し物と違い、「安保を変えなければならない」とか「憲法を変えなければならない」なんて前提は存在しないわけです。その合意がないのに、安保を変えること前提、組織的犯罪防止法を変えること前提、憲法を変えることを前提にして議論を展開し、「文句を言うなら対案を出せ」と言うのは、実に卑怯なごまかしです。
案を出さねばならないという同意がない時には対案ではなく廃案を主張するので十分
例①:レストランメニューを変える合意がない場合
たとえ話をしましょう。
あるところに、レストランがありました。国会で行われてるのは、こういうことですよ。
現在運営は順調で、緊急に改革が必要なことはありません。
レストランの従業員の1人が、「新メニューを考えました。
これまでのメニューに代わって、これを出しましょう」と言ってきました。
しかし、他の従業員は、その新メニューを試食した結果、これまでのメニューの方がよい、と判断し、新メニュー案を却下しました。
すると、そのメニューを考えた従業員は、「僕の案を批判するなら対案を出せ!」と言い出しました。
他の従業員は、「今のメニューの方が優れているのだから、新メニューを作る必要なし。採用して欲しいなら、現在のメニューよりも良い案を持って来い」と反論しました。
このレストランの従業員の間には、「これまでのメニューはダメだ! 新メニューを作らないといけない」という共通認識が存在しないわけです。だったら、新メニューを作りたい人が、新メニューを作らなければいけない理由を説明し、これまでの新メニューよりも良いものを提示するのが当たり前です。他の従業員は、説明に納得できず、かつこれまでのメニューの方がよいと思えば、新メニュー案を却下するだけでいいんです。「新メニューを作らなければならない」という合意がない以上、現在のメニューが好きな人たちが、わざわざ現在のメニューを変える対案を出す必要なんてないんです。
別の言い方をすれば、「新メニュー」という案に対し、「現在のメニュー」という対案を出しているのと同じなんです。「現在のメニュー」を対案として認めないというのがおかしいんです。
また、仮に「新メニューを作る」という合意が出来たとしても、相手に新メニュー案を作る時間を与えず、「君たち新メニュー案ある? え、ない? じゃあ僕のが採用ね!」とはなりません。
例②:日本語の表記を変える必要があるか?
別の例もだしますね。
A「グローバル化に対応するために、日本語表記をアルファベットにすることを提案します」
B「は? 日本語表記は今のままでいいだろ」
A「反対するなら、対案を持ってきてください」
B「だから今のままでいいって言ってるだろ!」
A「対案を持ってきてください。対案がなければ、今日から日本語はアルファベット表記です。決まり!」
B「FUZAKENNA!!」
日本語をアルファベット表記にしようという案は、明治維新直後と終戦直後にはかなり現実味のある話でしたからね(「ローマ字論」参照)。他にも森有礼は日本語を廃止して英語を公用語にしようと提案していましたし、志賀直哉はフランス語を公用語にしようと提案していました。
仮に「グローバル化に対応しなければならない」という点では合意があったとしても、「日本語をローマ字表記に変える」なんて案には、対案なんて提出する必要ありません。「却下」。それだけで十分です。「現在の日本語を維持」。これで十分対案です。
例③:慰安婦像に対案が必要か?
最後に、対案中のネトウヨさんたちでも理解できそうな例を出してみましょう。現在、ソウル大使館に慰安婦の少女像が置かれており、海外にもいくつか少女像がおかれています。
↑在韓日本大使館前の慰安婦像
当然、日本側はこれに強く抗議していますが、それでもし、韓国側がこう言ったらどう思いますか?
「この少女像が嫌だと言うなら、どういう像ならいいのか。対案となる像の案を持って来い」
こんなこと言われたらネトウヨさんは、「はああああ!!!??? お前、頭おかしいんちゃうか!!!??? 対案なんているか!! 撤去だ撤去!!!!」って言うんじゃないですか? 「日本大使館前に像を建てる」という前提なんて存在しないんだから、「対案なんて必要あるか! 撤去すりゃいいんだ」となるでしょ。
「対案厨」と呼ばれるような人たちがやってるのは、これと同じですよ。
勝手に「日本大使館前に像を建てる」という前提を作って、「この像に反対なら、対案となる別の像のデザインを持って来い」と言う。
勝手に「憲法を改正する」という前提を作って、「この改正案に反対なら、対案となる別の改正案を持って来い」と言う。
全く同じレベルですよ。
安保も共謀罪も憲法も、「変えなければならない」という前提なんて存在しないんだから、対抗案を提出する必要などなく、「廃案」が対案です。
予算案のようにどうしたって期限までに作らなければいけないものであれば、「文句を言うなら対案を出せ」と言うのは理解できますが、安保や共謀罪や憲法のように、立法や改正をしなければならないという前提のない中で、「文句があるなら対案を出せ。対案がないならこのまま通す」というのは、卑怯極まりない手法です。こういう「対案厨」に騙されないようにしましょう。
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コメント
対案対案言ってる人って仕事したことあるんかな……と思います
>俗に言う対案です。
>それを聞かせてもらってから初めて議論が始まりますね。
> — だっきんきん (@pidakki_) 2017年12月4日
↑
議論の余地なく、
或いは議論の結果、
【結論は「廃案」だ】と述べているのにね。
「初めて議論が始まる」もなにも、
もし「その土俵で議論」を続けたいならば、
【今出してきている案よりマシなものを、
「議論」を提起してきたソチラが出してきたときにこそ
新たな議論を始めることができる】
だけの話。
そもそも
「この土俵で議論を続けなければならない」
という前提をア・プリオリに手前勝手に設定し、
出来の悪い案に固執し執拗に持ち出してくるのが、改憲問題などに見られる「対案粘着厨」。
「粘着の仕方」にも色々あるものですね(笑)。
一見すると何か案を出してる方が「やってる」ように見えてしまう。
で、反対している方が「やってない」ように見えてしまう。
反対する側に「やってない感」を出していかにも自分たちの方が優れているかのように見せかける手法ですね。
>小学生以下の知能だろ。こういう事言う奴って。
もう癌だからぶっ殺しても構わん。
レッドカード
例として挙げていた、日本語の代わりにアルファベットの反対代案に対して、アラビア語出してきてもきちんと、議論しなければ行けなくなる。グローバル化というならイスラム教の方が圧倒的に多いからとか言えば更なる混沌が生まれる。
代案出せ!は、どとらにしてもバカの言い訳。これ言い出す時点で話にならんのよ。
こういうこと言うと「是々非々」でって言われるんだけど、それは結局「是々是々」になっちゃうのよ。楽だから。「何でも反対」と「何でも賛成」なら前者の方が存在意義がある。
同様の話だと思うけど刑事裁判では、有罪が明らかであろうと弁護人は検察に徹底的に抵抗するべき。それが長い目で見た時、公正な法治の確立につながる。
甘い
自民は対案出しても碌に審議してないぞ
https://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-176.html
管理人の理屈なら、大阪都構想にも対案は必要ない事になるのか?
>橋下さんがイラついてたのもわかります。こっちがなにかアイデアを出しても、否定ばかりして対案を考えない人が多いんですよ。じゃあどうすんの、もっといい案あるのと聞くと黙ってしまう。
>反対派の主張は詭弁にしか聞こえませんでしたけどね。
二重行政のムダな箱物にはすべて意味があったのだと力説するも説得力ゼロだったし、いまの組織のままでも、市長たちが集まって話し合う場を作れば問題は解決できます、などとフリップを出しながら語ってるのに到っては、新手のフリップ芸かと思えるほどに噴飯ものでした。そんな簡単に話し合いで改革ができるなら、とっくのむかしに大阪の問題はすべて解決していたはずじゃないですか。
まともに反論できないわ、対案求めても黙ってしまう。
「反対するなら対案を出せ」が成り立つのは、どうしても期限内に決めなければいけない場合のみ。
だったら、都構想は住民投票という期限があるじゃないか。
この場合はどうなるのよ?
貴方の意見は論理性の欠片もないし、私の記事の理解さえ全くできていない。
みんなが問題意識を共有し、「変えなければいけない」という共通認識があるときには「反対するなら対案を出せ」は成り立つが、その問題意識の共有ができていなければ「現状維持」が対案として機能する。
大阪府と大阪市でどのような問題が起きているのか知らんが、現状で問題ないと思う人は現状で問題ないことを示すべきだし、現状を変えなければならないと考える人は何らかの案を出すべきだろう。
要は「現状に問題がある、変えなければならない」という共通認識があるかどうか。別に「現状に問題はない、変える必要はない」と考えてる場合には、対案として出すのは「現状維持」で十分。例えば共謀罪なんてものは、それが無いことによって現状問題が起きていないのだから「現状に問題はない、変える必要はない」で十分。そういう話。
大阪の行政に問題があるという認識が共有されているのならそれは話し合うべき。そういう共通認識がないなら「反対するなら対案を出せ」はおかしい。
>>都構想は住民投票という期限があるじゃないか。
アホかいな。住民投票自体が都構想側が持ち出したことだからそれを「期限」と呼ぶのはおかしいし、「反対案があるなら住民投票までに案を出せ」もおかしい。住民投票をやるというのなら、住民に対してお互い都構想の必要性、もしくは不必要性を訴えればよい。それで結局2度も否決されたんだろ。
むしろ大阪都構想の件は「反対するなら対案を出せ」はおかしいことを証明しているとさえいえる。
>貴方の意見は論理性の欠片もない
何や?だったら俺が示した都構想に関するブログの記事を書いた著者も
論理性の欠片もないことになるんか?
ハッキリと「ボクちんはバカだから、都構想の是非がわからないんでちゅー!」と認めなよ。カッコつけてないで。
本当に救いがたいレベルのバカだな、お前。どうしようもないレベルで頭悪いな。どんな下らない人生を歩めばそこまで知能のないゴミが育つんだろうな。
>>何や?だったら俺が示した都構想に関するブログの記事を書いた著者も
>>論理性の欠片もないことになるんか?
本当に脳みその欠片も感じさせないバカだな、お前は。
お前の出したブログには都構想が実現すれば「面白いことが起きる可能性がある」とか極めてあいまいな希望的観測が書いてあるし、本当にそのブログに書いてある通り反対派が「否定してばかりで対案を考えない」でいたのかどうかもオレは知らん。大阪でどういう議論が行われていたかなんて知らないからな。
大阪市民や府民の間で、橋下が言っていた二重行政が「それは問題だ」って共通認識があるのならば、何らかの対処は必要だろう。だが、その二重行政とやらを問題だと思ってない人が対案を用意する必要はないし、二重行政を問題だと思っている場合でも都構想がむしろ問題を悪化させると思うのなら単に「現状維持」を対案として出せばいい。
ちゃんとした計算なしに「おもしろいことが起きる可能性がある」でやっていいもんじゃないし、「どっちに転ぶかわからない」のに「やってみなはれ」で変えられるほど小さな問題じゃないだろ。
>>ハッキリと「ボクちんはバカだから、都構想の是非がわからないんでちゅー!」と認めなよ。カッコつけてないで。
知能も人格もどうしようもないゴミだな、お前は。お前の知能欠損ゴミ脳だと、わからないことをわからないって言うのがかっこつけてることになるのか? やっぱり脳みそ腐ってんな。まあ、維新マンセー君なんてそのレベルだよな。
オレは知らないことを知ってるふりしたり、わからないことをわかったかのように言うお前レベルのバカとは違うんだよ。知らんことは知らんと言うし、わからんことにわかったように口を出すような無責任なクズでもない。
オレは大阪府民じゃないんだから、大阪市と大阪府の関係で本当に問題が起きているかどうかなんて知らないし、口を出せる立場にない。是非を言えるほどの情報も持ってないし、大阪人が決めることで別に自分の地域に影響がある話じゃないから調べたこともない。むしろ自分の地域にまで影響が及ぶものならともかく、関係ない大阪の問題に口出しする方が無責任だろ。
お前のゴミレベルの脳みその中だと大阪都構想の是非を決めていないとバカになるのか?
じゃあ、お前は静岡市と清水市の合併問題はどう思う? 清水市が無くなって清水区になったが、賛成か反対か?
愛知県知多郡美浜町と南知多町の合併はどう思う? 賛成か反対か。
東大には校歌がないが、効果を作ることに賛成か反対か。
どれも「関係者が決めろ」としか思わねえよ。
お前の脳みその中だと、自分と関係ない地方の自分と関係がない問題まで是非の意見を持ってないといけないのかよ。お前はこれらに対して全部是非の意見を持ってるのか? え?
本当にどこまでも本当に救いがたいバカだな、お前は。