ざっくり言うと
- 「愛媛文書」について、いまだに「文中で明朝とゴシックが混在しているなんて日本人としてあり得ない」「強調でゴシックを使うなんて普通に考えてない」などと言って、文書を捏造扱いする人がいる。
- 実際には、文中で明朝とゴシックが混在している本ぐらいいくらでもある。
- それどころか、学校の検定教科書でさえ、文中で明朝とゴシックが混在しているものがある。
- 自分の狭い経験に基づいた「普通」を他人に押し付ける奴を信頼してはならない
↓明朝体とゴシック体が混在しているから「あまりに不自然! 活字のプロならすぐに気づくはず」と妄想を垂れ流すバカ。逆に活字のプロならゴシックと明朝が混在する文章など珍しくもないことを知っているはずだが。
正直こんなことは記事にするほど大したこっちゃないんですが、例の愛媛文書について、いまだに「明朝とゴシックが混在している! 怪しい! 捏造だ!」なんて言う人がいるので、そういう人にいちいち説明するのも面倒なので、ここで軽く反論しておきたいと思います。
~「明朝とゴシックの混在なんてありえない!」という謎のルールをぶちかます人たち~
まず簡単に経緯を説明しておきますと、愛媛県の出してきた加計学園関連の文書には、明朝体の部分とゴシック体の部分が混在しておりました。

↑明朝体とゴシック体が混在している愛媛文書
それで百田尚樹とかnetgeekとかアノニマスポストとかが、
「明朝体とゴシック体が混じっているのは不自然!」
「捏造の証拠!」
とか言い出したわけです。(詳しくはこちら)

朝日新聞が鬼の首を取ったみたいに一面トップ記事で報じているが、当日の朝日新聞の首相動静には、総理と加計理事長が会ったという記述はない。
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2018年5月22日
しかもメモには、総理のところの文章がゴシック体になっている。その他の文字が明朝体なのに、あまりに不自然!
活字のプロならすぐに気付くはず。

↑アノニマスポスト。「普通は下線か太字だろ…」って、誰の「普通」だ? しかも「愛媛県庁」を「愛知県庁」って間違えてるし。
テレビ朝日の『モーニングショー』が愛媛県職員にインタビューして、「強調のためにフォントを使い分けることはある」との回答を貰っているんですが、それでも「普通そんなことしない」などと言うやつらが後を絶たないわけです。彼らの言う「普通」って、誰にとっての「普通」なんですかね?

このブログにも、実にいろいろなご意見がきました。

>>そもそもフォントがばらばらになった理由を明確にしてもらわないと
>>それを正式な文書だと言われても信用できるはずない

>>明朝体とゴシックを混合することは基本ありません。
>>文言には明朝体と分ける以外にあり得るのはコピペだけ。
>>これをコピペでないと言い張るのは日本人としてありえないですね。
>>強調なら下線部もしくは強調Bでしょ

>>まあ普通に考えてゴシックと明朝を強調として使い分けるのはないよね。

>>当の管理人が強調で明朝体を利用してない時点でアホだな
>>太文字と文字サイズが基本だと認めてるってことじゃんw
なんと、ゴシックと明朝を混合することは基本なく、そんなことをやるのは「日本人としてありえない」らしいです。ぶったまげ。
ちなみに、このブログで、強調として明朝とゴシックを利用していないことを指摘しているコメントがありましたが、これは単にブログのデフォルトなだけです。フォントを変えようとしたら、いちいち自分でフォントを変えるコマンドを打ち込まなければならないため、そんなことしてないだけです。
まあ、なんにせよ、netgeekとか、アノニマスポストとか、頭の悪さ丸出しのいつものまとめサイト連中などフォントに文句つけてる連中の脳内では、明朝とゴシックを文中で混在させることは日本人としてあり得ないことで、そんなことは捏造かコピペじゃないと起こらないことになってるらしいです。
はたしてそうでしょうか? というわけで、本棚の本をいくつか引っ張り出してみました。
~教科書でも明朝とゴシックが混在:おまえら教科書読んだことないの?~
とりあえず、表題などにゴシックが使われるということは、さすがに了解してもらえると思います。このレベルで「明朝とゴシックの混在なんてない」と言う人は、おそらく生まれてこのかた、本を読んだことがない人でしょう。
↓大山康晴著『昭和将棋史』(岩波新書)115ページ。
「初の九段位に就く」という表題がゴシック体になっている


表題や図表などでなく、文中で明朝とゴシックが混在しているものとなると、数は減りますが、それでもいくらでも見つけられました。
例えば、こちらは稲富正治著『面白いほどよくわかる臨床心理学』(日本文芸社)。通常は明朝体ですが、強調したい部分はゴシック体になっています。


↑強調したい箇所はゴシックになっている
さて、先ほど紹介したコメントだと、明朝とゴシックを混在させるのは「日本人としてありえない」ことで、捏造の証拠らしいんですが、この本も誰かに捏造されたんですかね?(笑)
次に、こちらは菅乃廣著『物理化学が解き明かす『時間』の秘密』(サプライズBOOK)。御覧の通り、文中の強調したい部分はゴシックになっています。


さらに、こちらは英語参考書、太庸吉著『英文精読へのアプローチ』(研究社)。やはり通常は明朝で、強調部分がゴシックになっています。


最後に、高校生の日本史教科書、『詳説日本史』(山川出版社)! こちらも強調したい部分がゴシックになっています。上の例と違い、文ではなく単語だけですが、それでも協調のために明朝とゴシックが混在しているという事実に違いはありません。


↑「鳥羽・伏見の戦い」「奥羽越列藩同盟」「戊辰戦争」などの単語がゴシック体になっている
さて、これらの本は、「日本人としてありえない」もので、「普通に考えてあり得ない」ことが行われた、捏造された書物なのでしょうか?
教科書でも、明朝の文章の中に、強調のためにゴシック体を用いているわけですから、「明朝とゴシックの混合は日本人としてあり得ない」とか「普通に考えて明朝とゴシックを強調で使い分けるのはない」とか言ってる人は、教科書さえ読んでないんじゃないですかね?
(しかし、netgeekレベルのアホが教科書を読んでないのは不思議じゃないけど、百田尚樹に読書量が足りてないとはさすがに思えないですね。やはり偏見のせいでまともな判断ができてないということでしょう)
とまあ、こんな感じに、明朝とゴシックの混在なんていくらでもあるわけです。自分の狭い経験をもとに、自分が明朝とゴシックを混在して文章を書かないからといって、「日本人としてあり得ない」「普通に考えて、混在なんてない」「捏造だ」とか言うやつは、信頼しちゃいけません。
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コメント
まあフォント自体はソフトで簡単に変えられるんだから、「あり得ない」どころか「ちょっとやってみただけ」も充分考えられますわ