<ざっくり言うと>
- ネット上に溢れる教育勅語のいわゆる「12の徳目」は原文を読んでいないバカが作った妄想教育勅語。
- 原文には「天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ(一身を捧げて皇室国家のために尽くせ)」という。「真心」など、原文のどこにも書かれていない。
- 「法律を守れ」や「親孝行しろ」などの道徳を教えるのに、70年以上前に排除された教育勅語を用いる必要性などどこにもない。
↓人格破綻知能欠損ヘイトデマゴーグはしみとしこ。人権侵害常習犯の差別主義者なだけでなく、教育勅語を理解する知能なんて欠片もないくせに教育勅語を語る救いようのない愚物。
・原文も読まずに教育勅語を称賛する奴ら
レイシスト・はすみとしこが、こんなことを言っていました。
一番良いのは、教育勅語を学校の朝の会でみんなで音読する事だね。 https://t.co/0sbS402tWs
— はすみ としこ (@hasumi29430098) 2019年3月14日
いまだにこういうことを言う奴が後を絶えませんが、すでにこのブログでは教育勅語を数回取り上げ、どこが問題なのかを指摘しています。↓
・なぜ教育勅語を学校で教えてはいけないのかわかるページ
・明治政府公式英訳で読み解く教育勅語
しかし、ネット上にはこんな画像で教育勅語を称賛する奴がゴロゴロいます。所謂「12の徳目」というやつですね。これを根拠に「教育勅語はいいこと言うてる」とか言ってるわけです。

また、上念司など、「逆教育勅語」などと言って教育勅語を擁護する信じがたいバカもいます。
上念司様の逆教育勅語勅語を読んだ方がいいよ!という度々のお声かけで、この度、「逆にしたらよく分かる教育勅語」が増刷にあいなりました。ありがとうございます😊昨日もニュース女子拝見しました。著者の倉山満氏にも少しは喜んでいただけると思います。https://t.co/rC8DyA1Pj4
— ハート出版社長絵日記 (@boss810enikki) 2018年10月9日
このハート出版とか言うところから出ている『逆教育勅語』とは、このようなものだそうです。「教育勅語を逆にするとこんな酷いものになる。だから元の教育勅語は素晴らしいんだ」という理屈です。
どこまで馬鹿で卑怯なんだお前ら!!
この手の連中は、まず間違いなく教育勅語の原文を読んでいません。この連中の主張は、どれも「国民道徳協会訳」というものに基づいています。
以前の記事でも紹介していますが、明治神宮HPなどに載っている教育勅語の現代語訳は、「国民道徳協会」訳となっていて、あたかもちゃんとした訳かのようなフリをしていますが、実際には国民道徳協会とは佐々木盛雄という元自民党員が一人でやっていたものです。そして、その訳の内容は、原文とは似ても似つかないほど改竄されています。
産経新聞の阿比留瑠比という
・文部省公式現代語訳に「一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」と書いてある
前述の通り、ハート出版が出している倉山満というバカの「逆教育勅語」も含め、この手の連中が出してくる「12の徳目」は、明らかにどれも佐々木盛雄の改竄された訳をもとにしています。
佐々木盛雄の訳が原文からどれぐらいかけ離れているかは、詳しくはこちらの記事を読んでほしいですが、佐々木盛雄の偽訳をもとにしたものがこんなに広がっている状況はいかんと思うので、以前明治政府の公式の英訳を紹介したのですが、もう一つ、信頼に足る訳を紹介しましょう。文部省による現代語訳です。実は1940年に、文部省は現代語訳を作っているのです。これは佐々木盛雄なんかとは違う、公式のものですので、はるかに信頼に足るわけです。そのまま紹介しましょう。
【教育勅語】
朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁 之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ
明治二十三年十月三十日 御名御璽
【現代語訳】
朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。
汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただ朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。
ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。
明治23年10月30日
明治天皇自署、御璽捺印
第2段落に所謂「12の徳目」が並んでいます。親孝行とか兄弟仲良くしろとかは別にいいんですが、問題は最後の12番目です。佐々木盛雄の訳も、倉山満とかいうバカの「逆教育勅語」も、「12の徳目」の最後に「国のために真心を尽くせ」なんて書いていますが、教育勅語にはそんなこと全く書いてありません。どこから「真心」なんて言葉出てきた!?
本当に書いてあるのは、「万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ」です。「危急の大事」は、例えば戦争ですね。「戦争になったら勇気を奮って、皇室国家にその身を捧げろ」と言っているわけですから、これが教育勅語が特攻などの無謀な玉砕に繋がったと非難される所以です。「天皇陛下万歳!」と言って玉砕するなど、まさに教育勅語の理念をそのまんま実行したわけなんですよ。
この「皇室国家にその身を捧げろ」を「国のために真心を尽くせ」と改竄するなど、佐々木盛雄にしろ、それをもとにした倉山満にしろ、本当に卑怯と嘘つきにもほどがある。
そして、教育勅語は、「12の徳目」をもって、「神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚の御栄をたすけ奉れ」と言っているのです。「神勅のまにまに」は「神の命ずるまま」。「宝祚」は皇位のこと。つまり、「永遠に続く皇室の繁栄をお助けしろ」と言っているのです。
教育勅語の「12の徳目」とは、己の人格を磨くためのものではなく、「忠」と「孝」を身につけ、永遠に続く皇室の繁栄を助けるためのものなのです。
そもそも、冒頭に「我が御祖先の方々が国をお肇めになった」とあるように、教育勅語は皇国史観に基づいたものであり、国民を天皇の「臣民」(家臣としての国民)としているのです。この時点で現代的観点からはアウトです。
教育勅語を一言で要約するならこうなります。
「皇室の繁栄をお助けできる、忠良な臣民となりなさい」
「12の徳目」も、良き人間を育てることが目的ではありません。「忠良な臣民」を育てることが目的なのです。全ては皇室繁栄のためであり、日本国民は身を捧げて皇室国家に仕え、皇室の繁栄をお助けしなさい、というのが教育勅語の内容です。12の徳目も、皇室の繁栄のためのものにすぎません。
「親孝行しましょう。皇室繁栄のために。」
「兄弟仲良くしましょう。皇室繁栄のために。」
「夫婦は仲良くしましょう。皇室繁栄のために。」
「法律を守りましょう。皇室繁栄のために。」
「何かあったときには、皇室国家にその身を捧げましょう。皇室繁栄のために。」
これが教育勅語の内容なんです。国民のすべては、皇室の繁栄のためである、というのが教育勅語の理念です。
だからこそ、戦後、教育勅語は「根本的理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる」として、衆参両院で排除と失効が確認されたのです。
文部省の公式の現代語訳を見ても分かる通り、教育勅語は、その根本理念が、主権在君と神話的国体観に基づいており、さらに「一身をささげて皇室国家のために尽くせ」とあるわけですから、戦後廃止されるのは当然のことです。「教育勅語はいいことを言っている」などと言う連中は、このあたりの事実を完全に無視、もしくは意図的に隠蔽しています。
教育勅語は、せいぜい親孝行など「いいこと『も』書いてある」が関の山であり、その「根本的理念」は主権在君と神話的国体観であり、「臣民はその身を皇室国家に捧げ、永遠に続く皇室の繁栄をお助けしろ」と教えることが、教育勅語の意義なのです。戦後の教育から排除されるのは当たり前のことです。
・当たり前の道徳を教えるの教育勅語に頼る必要なし
教育勅語の「12の徳目」のうち、11項目は、「親孝行」とか「兄弟仲良く」とか「法律を守れ」とか、確かに別におかしなことは言っていません。
しかし、そんなことを教えるために教育勅語が必要ですか? そんなの、別に教育勅語がなくたっていくらでも教えられるでしょう。親孝行しましょうとか、兄弟仲良くしましょうとか、法律を守りましょうとか、そんなことを教えるのに、どうして教育勅語なんて引っ張ってこないといけないわけですか? 普通に「親孝行しましょう」「兄弟仲良くしましょう」「法律を守りましょう」って教えりゃいいじゃん。
にもかかわらず、わざわざ教育勅語を持ち出してくるのは、やはりその「根本理念」、すなわち「主権在君」や「神話的国体観」を復活させ、「何かあったなら、その身を国家に捧げろ」という教育を施したいからなのでしょう。
何度でも言いますが、ネットで教育勅語の「12の徳目」だけを抜き出して「いいこと言ってる」なんて言っている奴は、まず間違いなく原文を読んでいないただのバカです。そういう連中には、文部省の公式の現代語訳を見せてやってください。そして、12番目の徳目が「国のために真心を尽くせ」ではなく、「皇室国家にその身を捧げろ」であり、12の徳目全てが「永遠に続く皇室の繁栄をお助けするため」のものであるという事実を教えてやってください。
(まあ、ほとんどのバカ連中は、文部省の公式現代語訳を見ても、そっちに難癖をつけて、原文を読むこともなく、自分に都合のいい佐々木盛雄の偽訳にしがみつくでしょうが、そういう連中についてはもうあきらめるしかないと思います)
↓ブログ運営のための応援の支援をお願いします
OFUSEで応援を送る




↓1日1回押さないと真の愛国者になれなくなってしまう呪いのボタン


コメント
日本はまた徴兵制をしくべしという考えの知人に、徴兵の対象でない老人が言っても説得力がないよね、と言ってやったんです。
辻田真佐憲『「戦前」の正体』はこう言っています。
2017(平成29)年、森友学園運営の幼稚園で行われていた教育が大きく問題になった。園児に軍歌をうたわせ、教育勅語を暗唱させる。それが右派から愛国教育と讃えられ、左派から戦前回帰にあたると批判されたのだ。だが、両者ともあまりに戦前を知らな過ぎたのではないか。」p36~38
要は、戦前の式次第は厳格に定められていて、式に際し軍歌は必ずしもみんなで歌うものでもなかったし、教育勅語は校長が奉読し生徒は頭をたれて謹聴するものだった、と。森友学園の教育はその実、戦前の二次創作であり、たんなるコスプレにすぎなかった。 と。
わたしも、この森友のやっていることは本能的にとても嫌な気がした。そしてやはり森友はいかさまだった、ということでした。
三島由紀夫『豊饒の海』第二部の主人公は、浅沼稲次郎暗殺犯の右翼少年がモデルではないかと思っています。三島の自殺願望とあいまって。
軍歌は勇壮なものもありますが、悲しみ・恨みに満ちた沈痛なものが多いように思います。
教育勅語は要は個人主義を否定しているわけで、天皇と臣民の関係は「没我」であると。
わたしは、わたしの主人はわたし自身であり、親でもなければ夫でもなく義実家でもない、皇室でもないと強く思っています。だからと言って他人様に自分の主張を押しつけるつもりもない、そんな権威も権利もない。だから選択的夫婦別姓やるべしも30年前どころか20代のころから強く望んできました。中学生のころの教科書に「利他的個人主義」という言葉と解説が登場していました。
わたしは、皇室は絶滅危惧種だと思っています。それにやはりなんだかんだあっても血統に基づいた万世一系の伝統がある。これはまもっていくべきだとは思っています。だからといって天皇のために死にたくもない。
辻田氏はこの著書のなかで、教育勅語についてかなりの紙幅を費やしています。彼のスタンスは中庸です。勉強になります。
山口組綱領でもオウム真理教教義でも成立するよね
>>3
凄いな。管理人さんがなにが問題なのか理由も付けて説明しているのに、何が問題なのか理解出来ない頭の悪さ。それと日本語不自由ネトウヨの分際で、日本語に謎のマウント取れる頭のイカれ具合に改めて呆れる。
まあ、本音は他人を貶したいってだけで中身なんてどうでもええんやろうけどさ。ネトウヨ共が親兄弟と仲良くしてるとか思えんし
私は左翼を自認していますが、昭和天皇は嫌いだけど上皇についてはそれなりに尊敬しているつもりのスタンスです。