<ざっくり言うと>
  • 「ハングルは李朝では誰も使っていない忘れ去られていた存在で、併合時に日本が再発見して広めてやった」という話が出回っており、百田もそう主張しているが、それはデマ。
  • ハングルは女性の手紙では李朝時代をずっと用いられていた。
  • 併合前の開化期には、ハングルの新聞やハングルの小説が発表され、公文書もハングルで書かれるようになっていた。
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目次

日韓併合時「打ち捨てられていたハングル」を日本が見つけてやった説


百田尚樹の言うことなど何の価値もないことは今更言うまでもありません。何と言っても、こんな低レベルなことを平然と言ってのける頭なのですから。

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>>昔、日本が朝鮮半島を併合した時、朝鮮人のほとんどが文字を読めないのに驚き、
>>うち捨てられていたハングルを見つけ、文字を統一し、教科書を作って朝鮮半島全土に普及させた。


嫌韓デマの一つに、「日本は朝鮮を植民地にしていない」と言うものがあります。百田の主張はその典型例の1つで、「日本はダメダメな朝鮮を改革して成長させてやった。植民地になどしていない、感謝されこそすれ、恨まれる覚えなどない」というものです。


「日本は朝鮮を植民地になんかしてないもん」論の間違いは、これまで数回にわたって記事にしていますので、そちらを参照ください。


「日本統治下の朝鮮は植民地ではない」という主張はデマである

「韓国併合は韓国側から頼んできたことだ」というのはデマである

「植民地に莫大な金をかけてインフラを整備した欧米諸国はない」というのはデマ

「植民地に学校を作った欧米諸国などない」というのはデマ

「『日本は朝鮮を植民地支配した』と言う奴は反日」なら、世界中反日だらけやん


特に、この「李朝ではハングルは誰も使っていない忘れ去られていた存在で、日本が復活させて広めてやった」という話は、かなり広まっていますよね。しかし、結論から言うとデマです。詳しく見ていきましょう。



併合当時、「ハングルは打ち捨てられていた」はデマ1
~ハングルの手紙が多数現存している~


百田は「日本が朝鮮半島を併合した時」と言っています。なので、この百田のツイートの内容は1910年以降のことを述べていると考えられます。


まずは、「(日本人が)うち捨てられていたハングルを見つけ」て普及させた、という百田の主張を検証してみましょう。どうやら、百田の脳内では、朝鮮人はハングルの存在なんてすっかり忘れており、併合時に日本人が再発見したことになっているらしいですね。


しかし、前述のとおり、これはデマです。


ハングルの誕生は15世紀半ば。確かに長いこと公文書に用いられることはありませんでした。知識階級からはかなり蔑まれていたんだそうですが、こちらの言語学者の遠藤織枝氏の書いた「女性と文字」では以下のように記述されています。

 初期には、女性に儒教の規範を教えるしつけのためのものとしてハングル書は書かれた。また、王が娘に贈る手紙や、娘が王に贈る手紙、さらに、王妃が息子である幼王に代わって政治を司る時や、その他の政治に関する臣下への手紙はハングルで書かれた。王室の家族同士の手紙のやりとりも、書き手か受け手が女性の場合、多くハングルで行われ、ハングルの手紙は婦女の間で必須の存在であった。

 文学の面でも、両班の女性たちは、漢字よりも思いを伝えやすいハングルを用いて詩歌を創作するようになる。それが平民の女性にも伝わり、女性教育のためのものから、女性の心情、人間性の尊重などを内容とする作品が生まれ、儒教的な教訓からも解放され、ハングルが生活化する。

ハングルは公文書や男性同士では用いられなかったようですが、女性の間では用いられていたようで、例えば下の写真は1838年~1843年の間に純元王后が婿宛てに書いたものだそうです。ハングルのみで書かれていますね。(参照


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こちらは同時代の徳温公主の手紙。同じくハングルだけで書かれていますね。(参照

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こちらはさらにそこから100年ほどさかのぼった、李氏朝鮮22代国宝の正祖が母方の伯母に宛てた手紙だそうです。宛名と名前以外ハングルで書かれていますね。(参照

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こちらはさらに100年前、17代国王考宗が三女・淑明公主に送った手紙です。やっぱりハングルですね。

孝宗御筆

このように、ハングルは知識層からは蔑まれたものの、女性の手紙、もしくは女性宛ての手紙では、李朝時代ずっと使われていたことがわかります。


これだけでも、日韓併合時に日本が「うち捨てられていたハングルを見つけ」たなんて百田の主張がデマであることがはっきりとわかりますね。百田先生、どの辺がうち捨てられているんですか?



併合当時、「ハングルは打ち捨てられていた」はデマ2
~併合前から新聞や公文書に用いられるようになっていた~


女性の手紙では使われても、知識層からは蔑まれていたハングルですが、19世紀末の「開化期」からハングルを用いる運動が盛んになります。


1886年の発行の『漢城周報』では、漢字ハングル交じり文が用いられます。これは政府の機関である博文局が発行したものですので、朝鮮政府もこのことからハングルを用い始めたことがわかります。これには日本の井上角五郎も協力していました。


1896年には『独立新聞』が刊行されます。『漢城周報』と異なり、『独立新聞』はハングル専用新聞でした。ハングルの分かち書きを始めて行った新聞でもあります。

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また、1894年11月21日公布の「勅令1号公文式」では、公文書にハングルを使用することが定められました(参照(62ページ))。日本と結んだ第二次日韓協約も漢字ハングル交じり文で書かれています。

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(↑第二次日韓協約。漢字ハングル交じりで書かれている)


新聞や公文書以外のハングル仕様としては、1906年に李人稙が「新小説」と呼ばれる運動を起こし、漢字ハングル交じり文やハングル専用での小説を書いています。

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(↑1906年の『血の涙』。上は漢字ハングル交じり版。下はハングル専用版。(参照))


このように、1910年の併合前から、新聞、公文書、小説等でハングルは使われるようになっており、「うち捨てられていたハングルを、併合時に日本が見つけてやった」という主張は、完全にデマです。


長くなっちゃったんで、残りは次回に回します。次回は「『朝鮮人のほとんどが文字を読めなかった』は本当か」「『文字を統一し、教科書を作って朝鮮半島全土に普及させた』は本当か」です。



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