<ざっくり言うと>
- テキサス親父日本事務局、「『ポリティカル•コレクトネス』という言葉を日本に紹介したのはテキサス親父」と嘘を吐く。テキサス親父ごときにそんな影響力があるわけがない。
- 実際には遅くとも1992年には「ポリティカル・コレクトネス」という言葉が日本に紹介されており、93年には「政治的公正」などの訳が当てられている。

テキサス親父日本事務局(藤木俊一)のツイッターアカウントが凍結されていました。
まさにテキサス親父日本事務局(藤木俊一)による伊藤詩織氏へのセカンドレイプの記事を書いていた最中だったので驚いたのですが、いったんセカンドレイプに関する記事は後回しにして、別のネタについて書いてみたいと思います。というのも、『からあげ速報』がテキサス親父のアカウント凍結について記事にしていて、そこにテキサス親父日本事務局(藤木俊一)がついたこんな嘘が掲載されていたからです。

「ポリティカル•コレクトネス」という言葉を日本に紹介したのはテキサス親父。それを日本人に分かり易く翻訳したのが私です。2011年です。
それ以前には、日本語への翻訳すらありませんでした。
「政治的正当性の拡大解釈」「過度な政治的正当性」と訳したのが始まりです。
ずいぶんとまあ大胆な嘘をつくもんですね、テキサス親父日本事務局(藤木俊一)。テキサス親父ごときにそんな影響力があるわけがなかろう。
それに、「政治的正当性の拡大解釈」「過度な政治的正当性」と訳したなどと言っていますが、ポリティカル・コレクトネスという言葉のどこにも「拡大解釈」や「過度な」などという言葉は入っていないのだから、意図的な誤訳と言わざるを得ません。
『からあげ速報』では
平成11年4月20日 第22期国語審議会第1委員会(第2回)にて「欧米でもポリティカル・コレクトネス(非差別的な言葉遣い)ということが言われ、性差別等を避ける傾向がある。」という発言がある。
としてこの発言を嘘だと糾弾していますが、せっかくなので、ここに補足してみたいと思います。
テキサス親父の発言がデマだと言うのは、ウィキペディアを見るだけでもわかります。ウィキペディアで「ポリティカル・コレクトネス」という記事が最初に立ったのは2003年11月15日。これだけでも「2011年にテキサス親父が紹介したのが最初」なんてのが嘘だとわかります。
さらに、1994年(平成6年)の文教大学の論文に「ポリテイカル・コレクトネス論争に関する研究ノート」というものがあります。

(↑文教大学の1994年の論文)
しかも、この論文では
1992年6月10日の読売新聞朝刊「日本たたきとポリティ カル・コレクトネス」
1992年7月21日の朝日新聞夕刊「ポリテイカル・コレクトネス論争,米で活性化 弱者への偏見正す動 き」
1993年12月24日の朝日新聞夕刊の「政治的公正と多文化主義」という記事が引用されています。
つまり、1992年には既に日本に「ポリティカル・コレクトネス」という言葉が紹介され、93年には「政治的公正」という翻訳も作られていたというわけです。
何を考えて「『「ポリティカル•コレクトネス」という言葉を日本に紹介したのはテキサス親父。それを日本人に分かり易く翻訳したのが私」なんて恥ずかしい思いあがったことが言えたのか理解不能です。
多分、藤木俊一が初めて「political correctness」という単語を見た時に、自分が不勉強で知らなかっただけだとは思わず、「こいつは新しい言葉だぜ!」「こんなの日本でオレが初めて見たに違いないぜ!」とか舞い上がっちゃったんでしょう。何とも厚かましい。テキサス親父ごときにそんな影響力があるとか思ってるところがまた情けない。
今後テキサス親父がどうなるか知りませんが、こういう思いあがったデマを平然と言える奴であるということは知っておいた方がよいでしょう。社会の癌ですね。
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