<ざっくり言うと>
世の中には
  • ①反論される→オレをそんなに強く攻撃してくるのは、オレが相手に都合の悪いことを突いたからだ。やっぱりオレは正しい。
  • ②反論されない→反論できないってことは、やっぱりオレは正しい。
と考え、どっちに転んでも「オレは正しい」という結論を維持してしまう人間がいる。こういう人間にならないように気をつけなければならない。
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私はデマをこうもやすやすと信じる人の思考が理解できないのですが、いまだに暇空茜を支持する人の思考は特に理解できません。これを見るだけでも暇空茜を信じちゃいけないのは分かると思うのですが。




暇空茜を信じて支持してしまう人の思考パターンが垣間見える発言を一つご紹介しましょう。キッズドアに対するデマを指摘されても暇空茜を信じ続ける人の発言です。

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>>あなた方がそうやって騒げば騒ぐほど
>>「暇空って人は余程この手の人達が困る発信をしてるんだな。
>>今話題のキッズドアとかいう団体の話もきっと
>>colabo問題と同じでそれなりに真実相当性のある話なんだろうなぁ
>>と宣伝になるかと。


最強すぎる!!

そもそもつい先日の裁判でも、Colaboに対する暇空のデマは

「いずれも真実であるとは認められないし、被告において(中略)真実であると信じたことについて相当な理由があるとも認められない」

という判決が出たばっかりなのに、「colabo問題と同じでそれなりに真実相当性のある」なんて言えちゃうだけでも驚愕ですが、デマに対して騒げば騒ぐほど「暇空って人は余程この手の人達が困る発信をしてるんだな」と考えることになると言うのです。

↓Colaboとの裁判の概要


つまり、デマに対して

①「デマだ!」と騒ぐ
→こんなに騒ぐってことは、よっぽど都合の悪いところを突かれたんだな。
 やっぱり本当なんだ

②デマを放置して騒がない
→反論がないってことや、やっぱり本当なんだ

となるわけです。どっちに転んでも「やっぱり本当なんだ」となる。完全最強理論です。


この思考は、このブログで批判してきた人たちの多くとも一致します。例えば百田尚樹氏は、『日本国紀』の数々の間違いが大きな批判にさらされたとき、このように主張していました。

2024y07m27d_205647584
>>そこまで恐れられた本だったのか
2024y07m27d_205655128

>>戦後のサヨク及び朝日新聞の悪行を書いているので
>>とにかく百田尚樹と『日本国紀』をこの世から葬り去りたい
>>という思いが強いようです


……。


なぜ単純に間違ってるから批判されてるという当たり前の発想にならないのかわからないのですが、この手の人たちにとっては「批判される」ということは
「相手に都合の悪いことを言っているんだ」
「正しいから恐れられているんだ」
という発想になって、自分が正しいという思いを強化してしまうようです。


4年前の大統領選挙の陰謀論でも、コロナの人口ウイルス説でも、否定されると
「こんなに必死になって批判してくるということは、自分たちが奴らに不都合な真実を掴んだ証拠! これは自分たちが正しい証拠だ」
と考える人たちが数えきれないほどいました。


まさに似たような発想が、あのオウム真理教にもありました。ご存知の方も多いでしょうが、オウムは1990年に衆議院選挙に立候補しますが惨敗します。しかし、オウムは自分たちは本当は十分な票を取っていたのに、選管が得票数を偽って、国家ぐるみでオウムを潰しに来たのだ、と考えました。しかし、どうして国家が選管を巻き込んでまでオウムを潰そうとするのでしょう? その時のオウムの考え方はこういうものでした。

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(『ザ!世界仰天ユース』2018年7月17日放送)
>>オウムの教義が本物だから
>>怖いんじゃないでしょうか?



「自分たちが攻撃されるのは、自分たちが正しいからで、真実を広められると困るやつらが恐れて攻撃しに来ているのだ」と考えるわけです。

称賛されれば、自分が正しいから正当な評価を受けたと考え、自分が正しいという自信を深める。

批判されれば、自分が正しいことを言っているから、真実を広められると都合が悪い連中が恐れて批判しに来ているんだ、と考え、やっぱり自分が正しいという自信を深める。

どっちに転んでも「自分が正しい」という結論を得ることができる最強です。批判を全く受け付けないわけですから、当然歯止めがきかず、どんどん過激化していくわけです。


もちろん、世の中にはデタラメな批判もたくさんありますが、自分が批判されたとき、
「自分は真実を言っているから、真実を広められると都合が悪い奴らが自分を恐れて攻撃してきているのだ」
などと考えるのは大変危険です。


しっかりと自分の考えと批判を見比べ、それでも自分が正しいと思うのはいいですが、「批判されるということはオレが正しい証拠だ」などと考えるのは大変危険です。


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