<今回のデマ>
  • 関東大震災時、朝鮮人暴動があったのは事実。証拠は当時の新聞。
  • 朝鮮人殺害あっても、それは自警団による自衛行為、正当防衛。
<事実>
  • ヘリコプターも携帯電話もない当時の新聞は伝聞をそのまま流しており、「富士山爆発」だの「伊豆諸島と小笠原諸島は全て海中に没した」だの「新島が出現した」だの、デタラメが数多く並んでおり、当時の報道は全く根拠にならない。
  • 内閣府発行の『大正震災志』(1926年)には、朝鮮人暴動に関する記事も虚報の具体例として複数掲載されている。
  • 司法省の記録では朝鮮人による殺傷事件は殺人2件、傷害3件のみで、殺人は起訴に至っていない。流言にあった蜂起、放火、投毒等については、「一定の計画の下に脈絡ある非行を為したる事跡を認め難し」と否定している。
  • 当時の自警団は民間人が武器を持って「自警団」を名乗っただけであり、なんら免責事由にならない。
  • 警察に保護されていた朝鮮人を、警察署を襲撃してまで殺害した事件も複数発生しており、何ら自衛行為でも正当防衛でもない。
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↑当時の新聞記事は、名古屋が全滅したり伊豆大島が沈没したり、新島が出現したり、滅茶苦茶であった。朝鮮人暴動もこれら虚報の一つとして、内閣府発行の『大正震災志』にて否定されている。
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前回記事で、関東大震災時の朝鮮人虐殺の存在が事実であることを述べました。当時の司法省の記録では、犯人が分かって起訴された事件だけでも233人の朝鮮人が殺されたことが分かっています。



この朝鮮人虐殺の原因はご存じの通り「朝鮮人が暴動を起こした」とか「朝鮮人が井戸に毒を入れた」とかのデマが原因なのですが、朝鮮人虐殺を何とかして正当化したい人たちは、「暴動は事実だった」とか「井戸に毒を入れたのは事実だ」とか言おうとします。その多くは、当時の新聞記事を根拠にしています。

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>>関東大震災で多くの日本人が朝鮮人によって虐殺された

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>>朝鮮人が暴れてたのは新聞記事にもなってんだよ。

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>>自警団の行為で虐殺の言葉を使うのは不正確です
>>当時の内務省が10月に朝鮮人暴動があったことも同時発表してる
>>10月時点で、司法省が、朝鮮人による暴動や乱暴を広報しています



この人たちは「虐殺はあったがそれは朝鮮人暴動があったからだ。自警団による正当防衛だ」と言いたいようですね。しかし、そもそも朝鮮人暴動自体がデマです。今回はこのことを見ていきたいと思います。


通信手段も移動手段もなく伝聞をそのまま報じた当時の新聞記事の信憑性は皆無


朝鮮人暴動の存在を主張する人は、必ずと言っていいほど当時の新聞記事を根拠にします。そりゃあそうですよね。他に根拠にできるものがないんですから。


ところが、当時の新聞記事は全く信頼できません。現在と違い、当時はヘリコプターもなければ、写真を撮ってすぐに会社に送ることもできないし、携帯電話もないのです。通信手段も移動手段もないため、当時の新聞は伝聞に頼っていました。


大正15年(1926年)に内務省が発行した『大正震災志』には、当時の新聞報道についての記述があります。現在国会図書館のHPで読むことができますが(270ページ~276ページ)、そこにはこんな風に書かれています。(270ページ~276ページ)

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交通通信がすべて途絶した当時であるから、東京横浜市民さえ、眼前の惨害より他の一切は全く知らなかった。まして他地方の人達はただただ張膽駭目するのみで、あせりにあせってもその被害状況をつまびらかにし得なかったのである。当時各地方新聞が号外もしくは本紙において報道したものの中には、随分思い切ったものがあった。
現在と違い碌な取材ができないため、こんな記事まで新聞に載ったのです。

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参照
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スゴイですね。伊豆大島が沈没したり、名古屋まで壊滅したり。『大正震災志』には「その中より数種を転載して、当初暗黒の状をしのぶ一端とする」として、当時の新聞の誤報が数多く載っており、中にはこんなものまであります。
  • 品川は海嘯(津波)によって全滅(福岡日々新聞)
  • 宮城も尚焼けつつあり(大阪毎日新聞)
  • 九月一日午前六時富士山爆発(台湾日々新聞)
  • 小笠原伊豆諸島は(略)海中に没し全ての島はなかった(岩手新聞)
  • 皇居を一時京都に移すことに決定す(樺太夕刊)
  • 今回の大地震は秩父連山の爆破によるもの(土陽新聞)
  • 在京各宮殿下北海道へ避難。軍艦に召されて(樺太夕刊)
  • 東京駅も全焼(樺太夕刊)
宮城まで焼け、富士山が爆発し、小笠原諸島と伊豆諸島は全て沈み皇居を京都に移すことも決定しています。うーん。すごい。当時の新聞がまともに機能せず、噂話を確かめることもなく掲載していたことがよくわかります。


この『大正震災志』に掲載されている当時のデマ記事の例の中には、ドンピシャズバリ、朝鮮人暴動に関するものもあります。
麻布連隊一個小隊は横浜方面より隊伍を組み進行してきた四百名の鮮人と衝突し激戦の結果全滅(伊予新聞)

数百の不逞鮮人隊伍を組みて蜂起暴戻
(伊勢新聞)

鮮人二千御殿場襲撃(樺太夕刊)
このように、当時の新聞記事における朝鮮人暴動の記事は、朝鮮人暴動があったという根拠に全くならないどころか、内務省がはっきりとデマの例として挙げているのです。上で取り上げたツイートでは「当時の内務省が10月に朝鮮人暴動があったことも発表している」と述べられていますが、実際には内務省は『大正震災志』において朝鮮人暴動の報道を否定しています。


しかし、こんな新聞記事がいまだにネット上で朝鮮人暴動の例として使われているのです。100年も前のデマがいまだに生き残っている事実は、デマというものが一度流れるといかに消しづらいものであるかを如実に証明しています。


司法省も朝鮮人暴動を否定


さて、当時の新聞が報じた朝鮮人暴動は、全く信頼性を欠くもので、信ずるに値しないものであったわけですが、警察の記録などはどうなのでしょう。もしも朝鮮人暴動だとか、井戸に毒を入れただとか、放火して回っただとかの事実があるならば、逮捕者が大勢いるはずです。


内閣府のHPには中央防災会議による「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」というものが掲載されています。その報告書に、当時の朝鮮人殺害についての記述があり、このように書かれています。
 民間人による殺傷行動についての官庁資料で最も網羅的なものは、震災直後に内務大臣を務 めた後藤新平の文書中に残る「震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書」(略) である。これは司法省が作成したもので、(略)司法省としての見解をまとめたものと思われる。

 この資料によれば、朝鮮人による殺傷事件は殺人2件、傷害3件が記録されているが、すべて被疑者不詳であり、殺人に関しては被害者も不詳である。このため、起訴には至らなかったと考えられる。流言にあった蜂起、放火、投毒等については、「一定の計画の下に脈絡ある非行 を為したる事跡を認め難し」と否定している。検察事務統一のため、9月11日に臨時震災救護 事務局警備部で開催された司法省刑事局長主宰の司法委員会会同で、朝鮮人の「不逞行為に就ても厳正なる捜査検察を行ふこと」が決議され、翌日各主務長官の承認を得て実施されている (「関東戒厳司令部詳報」)。この方針に従って調査したものの、上述の程度にしか確認できなかったということである。 
ご覧の通り、中央防災会議によれば、当時の司法省に資料によれば朝鮮人暴動なんて存在さえしていないし、散発的な殺人や傷害さえ被疑者不詳や被害者不詳で起訴にさえ至っていないのです。


司法省が朝鮮人の「不逞行為に就ても厳正なる捜査検察を行ふこと」と決議し、この方針に従って調査してもこの結果だったという事実は、朝鮮人暴動などなかったことを物語っています。


上で引用した石井孝明は「裁判記録などがあれば誰か調べて公開してほしい」などと言っていますが、ジャーナリストを名乗るなら「誰か調べて公開してほしい」とか言ってないで自分で調べればいいのに。そうしていれば、内務省や司法省が朝鮮人暴動の存在を否定していることも、散発的な殺人さえ起訴に至っていないことが分かったでしょうに。


「自警団の正当防衛」も大嘘


上で引用したツイートでは「自警団の行為で虐殺の言葉を使うのは不正確です」などとも主張されています。「自警団の正当防衛だから虐殺ではない」と言いたいのでしょう。


しかし、この主張は完全に間違いです。自警団がやろうが警察がやろうが軍隊がやろうが誰がやろうが虐殺は虐殺です。石井の頭の中では、軍隊が行ったウンデット・ニーの虐殺とかソンミ村の虐殺とかも虐殺じゃなくなるんでしょうか?


そもそも、この人は自警団を何だと思っているんでしょう? 内閣府の中央防災会議の報告書によれば「(自警団の)多くは震災直後に自然発生的に形成された」ものであり、「当時武器を持った民間人集団はすべて『自警団』と表現された」ので、警察でも何でもない民間人がただ武器を持っただけなわけです。「自警団だ」なんてのが弁明になるわけがありません。


また、このような主張も数多く見受けられます。
>>大災害後に略奪・暴動が発生するのは現代日本以外では常識であり、
>>関東大震災において住民がそれらに怯え自衛したことは無理からぬことであった。
>>朝鮮人や日本人、中国人の遭難もそうした異常な状況下での
>>不幸だがやむを得ない事件として捉えるべきである。
>>殺人事件の記録を虐殺の証拠とか言い出してて草 >>暴徒化した市民殺すのはさすがに不可抗力やぞ。

もちろん、全て大嘘です。


よくもまあ、何百人だか何千人だかが殺されたのに「やむを得ない」だとか言えますね。他にも「自衛」だとか「殺人だけど虐殺じゃない」とか「暴徒化した市民」だとか、嘘八百。すごいですよね。暴徒化したのは朝鮮人じゃなくて、朝鮮人を殺した人たちなのに。


上述の通り、朝鮮人暴動がなかったことは明らかですし、朝鮮人殺害は「自衛」のためなんかではありません。中央防災会議による「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」第四章第二節には「殺傷事件の発生」という項目があり、朝鮮人虐殺について書かれています。

 関東大震災時には、官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった。加害者の形態は官憲によるものから官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様である。また、横浜を中心に武器を携え、あるいは武力行使の威嚇を伴う略奪も行われた。

(略)

  軍や警察の公的記録では作業量が大きかった朝鮮人の保護、収容が強調されるが、特に3日 までは軍や警察による朝鮮人殺傷が発生していたことが東京都公文書館所蔵の「関東戒厳司令 部詳報」の「震災警備ノ為兵器ヲ使用セル一覧表」(『関東大震災政府陸海軍関係史料』第二巻 に翻刻、以下「兵器使用一覧表」と略称。東京都公文書館所蔵の原本は現在公開が停止されて いるが、同館の協力により個人名を抹消した電子複写を閲覧して校合した)から確認できる。 戒厳司令部が陸軍各部隊からの報告に基づいて作成したこの史料では、軍隊の歩哨や護送兵の任務遂行上のやむを得ない処置として11件53名の朝鮮人殺害が記録されている。一方、警察の記録で警察関係者による朝鮮人殺傷は確認できない。しかし、「兵器使用一覧表」には次のよう な叙述がある。3日午後に野戦重砲兵第一連隊の兵卒3名が洲崎警察署の要請で巡査5名とと もに朝鮮人約30名を移送中、永代橋付近で彼らが逃亡した。隅田川に飛び込んだ17名を巡査の依頼で兵卒が射殺したが、この際飛び込まずに逃亡しようとした他の朝鮮人は「多数の避難民 及び警官の為めに打殺せられたり」。これにより、巡査と民間人が共同しての殺傷行動があり、 それは警視庁の公刊の記録に記載されなかったことがわかる。 (参照) 
震災直後の殺傷事件で中心をなしたのは朝鮮人への迫害であった。

(略)

(司法省作成の調査書)に挙げられた朝鮮人殺傷事件は、「犯罪行為に因り殺傷せられたるものにして明確に 認め得べきもの」として起訴された事件だけであり、朝鮮人が受けた迫害としては一部分にと どまる。9月2日から6日までに発生した53件の事件で、合わせて朝鮮人233名を殺害し、42 名に創傷を負わせたことにより、11月15日現在、367名が起訴されていた。朝鮮人をめぐる流言 の中で、2日夜から被災地の焼け残り地域や周辺部にほぼくまなく町内、部落ごとの自警団が 組織され、通行人を尋問し、朝鮮人や怪しいと考えた者に暴行を加えた。

(略)

事件の発生件数は(9月)3日が最多であるが、4日から5日にかけて千葉県内で官憲に引き渡そうと朝鮮人を護送中のところを殺害した3件(死者54名、中山村若宮地先2件、船橋町九日市) と、4日から6日にかけての埼玉県と群馬県で警察官による護送中、あるいは警察署内に保護されている朝鮮人を襲撃して殺害した5件(死者約81名、本庄警察署、熊谷町、神保原町、寄居警察署、藤岡警察署)でこの史料で判明する朝鮮人死者の半数以上を生じている。一度流言 が広がり、それを信じた人々が行動を起こすと、現場の警察官の説得でそれを止めることは困 難な例が多数あったことがわかる。

(略)

朝鮮人被殺害者数の全体について、朝鮮総督府の記録によれば、10月22日現在、内務省は「朝鮮人被殺人員」を約248名と把握していた。しかし、朝鮮総督府東京出張員はこれを前提に「内査したる見込数」として、東京約300、神奈川約180、埼玉166、栃木約30、群馬約40、千葉89、 茨城5、長野3の合計約813名を挙げている(大正12年12月朝鮮総督府警務局,「関東地方震災 ノ朝鮮ニ及ホシタル影響」,斉藤実文書,『関東大震災朝鮮人虐殺問題関係史料Ⅳ』影印)。内務 省の把握が部分的であることは、当時の植民地官僚の目にも明らかだったのである。

ご覧の通り、なんと警察署を襲撃してまで朝鮮人を殺害しているのです。自衛行為でも正当防衛でもなんでもなく、まさに「虐殺」と呼ぶべきものであることが良く分かりますね。


このように、当時の記録を見れば、
  • 朝鮮人暴動はなかった
  • 朝鮮人虐殺は自衛行為ではなかった
という事実がはっきりと浮かび上がります。


前回も書きましたが、都合の悪い過去と向き合わない人間は、必ず同じ過ちを繰り返します。だから今でも災害があるたびに「朝鮮人が暴れている」なんてデマを流すやつがいますし、海外では「誘拐犯が来ている」なんていうデマのせいで、リンチ殺人が起きた例があります。




デマは人を殺すのです。


ネットの普及により、「朝鮮人虐殺はなかった」だの「朝鮮人暴動は事実だった」だの、自分に都合のいい妄言を信じて拡散する連中がゴロゴロ出るようになってしまいましたが、ネットの心地のいいデマに飛びつくことなく、事実と向き合いましょう。





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